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失ったものより大きな幸せを、未来で手に入れられますか?
フェムトの風水相談

失ったものより大きな幸せを、未来で手に入れられますか?

あやもんさん
親から虐待を受けて育ちました. 20代はPTSDが酷く,病院に通っていました. 虐待エピソードやPTSD症状を伝えても,医師は大したことがないエピソードを大袈裟に言っているだけだと取り合わず,親に感謝を要求した上,鬱病と診断しました. それは,母(人格障害)が医師に嘘を吹き込み,医師は母を信じたからです. 「娘(私)がわがままで親を困らせているだけ,親は甘やかして育ててしまって反省している」 と医師に伝えたそうです. 長年,PTSDのきちんとした治療を受けることができず,身を守る力がないまま生い立ちの被害の再演を続け,非常に多くのものを失いました. また,当時は症状が重くて,セカンドオピニオンをする力すらありませんでした.目上の人が恐ろしく感じていた当時,私にとって唯一信頼できる大人が,その医師でした. 結婚してから転院し,30代になって,始めて以前の医師のミスが明るみになりました. 医師に説明を求めましたが,医師は保身しました. 弁護士に調査を依頼したのですが,医療ミスを法律で裁くのは難しく,たとえ医師のミスが明らかでも,医師のミスによって負った損失とミスとの因果関係が確実に証明できないと,裁けないとのこと. 多くの時間を失い,悪化し,人生の機会を失っても,その悪化が100%医師のミスだと言えない限り,医師は罪に問われません.だから,明らかに医師がミスをしていても,保身するそうです.ただ,悪いのは医師であることは間違えないそうです. PTSDは早く適切な治療や支援があれば,きちんと良くなった筈だったのですが,治療せずに放置すると悪化し慢性化するそうです.まだPTSDの症状が出るので,フルタイムの勤務は難しく,なんとか症状と闘いながら日々を過ごしています. 自分が世界一不幸とは思いませんし,唯一夫には恵まれましたが,人生前半は児童虐待,治療を受けられなかったゆえの被害の再演,医療ミス,PTSD,ここまでの被害を抱えて生きるのが,結構しんどいです. 加害者は,誰も私に償いません.憎くて,辛いです. 私が必要だった支援をもらっている年下や,自分の被害当時の年齢の年下を見ると,悲しくてみじめで気が狂いそうに辛くなります. 他者の幸せを願うにも限度があります.羨ましいです. 被害を負わなければ,適切な治療を受けられれば,手にできた筈のものは,私にはありません. 失ったものよりも大きなものを手に入れない限り,ずっと私は損を負わされた人生だ,と感じてしまいます. しかし,「失ったものよりも大きな目標」が思いつかないのです.むしろ被害など無い人の方が,私が欲しかったのに得られなかったものを得て,やりたかったことを多く叶えています. 私は体調の都合で子供が産めませんが,親と仲良く,医療ミスもなく,PTSDもなく,子供も産み,家庭もあり,私が出したかった仕事の成果を出している人は沢山います. 失ったものよりも大きなものを,未来で手に入れることはできるのでしょうか. どう考えればいいか,ご助言いただけると幸いです.

フェムトの回答

ワタクシね、昔は自分への理不尽がミリ単位でも発生すると、消化出来ずに苦しんでおりましたのよ。

ワタクシは高校から自分で学費から何から準備する必要があったのに、なぜ妹は学費どころか入学祝いに70万円と、受験頑張ったからと100万円相当のキーボードを買い与えられているのかしらとか。

このテのエピソードは数えたらキリが無くて、当時は散々苦しんだものです。

ご近所の仲良くしていた大人に、「何か悩んでいるなら聞くよ。」と言われて、初めてこの姉妹不公平感を言ってみたのですが、笑ってこう言われました。

「あなたね、うちの子たちも『おねえちゃんばっかり』『妹ばっかり』って文句言ってるよ。どこの姉妹兄弟も同じような不満を持つのねぇ。大人になったら分かるよ。」

子どもだったワタクシにとって、大人がこんなにも解釈力が低いどころか、大人であることの演出で心地良くなるために子どもの悩みを利用するだなんて想像もしていなかったので、何かと衝撃だったものです。

あなたの娘たちの不満とワタクシの待遇が同じに聞こえますの?と。
それはよっぽど。。。。(以下自粛)

で、大人になって久しいワタクシですが、あの扱いが普通とは今もなお全く思いません。

思いませんし、過去の経歴のひとつではありますが、まぁ本当に過去の経歴のひとつに過ぎないと思っていますわ。

今のワタクシはどうかと申しますと、されたことはされたこと。
ですが、感謝すべきところもたくさんあるのです。

反面教師なところも含めて、ワタクシの価値観が育ったこと。
まず成人できたこと。

それに、仕事に拘束されてワンオペな面もあったことを考えると、ワタクシに八つ当たりしたかったのかもとか、そういう氣にもなっていますわ。

とにかく強さは手に入れた。
それは、あの環境で育ったからです。
そして、強くならなければ生きてこられなかったからです。

ワタクシは、親が弱かったために妹を引き受けさせられた挙句に自分の家庭を失ったわけですが、もはやどうでもいい。

ワタクシね、欲しい時に欲しい愛情を母からもらえなかったかもしれないけれど、母以外の人たちはそうでも無かったと氣づいたからですわ。

皆、そうそう全否定してくるわけでもなく、良いところは良いし悪いところは悪いと言ってくれる。

それなら、自分が出来ることを伸ばして、周囲に有用になっていけば自分の立ち位置は作っていける。

そう考えたのです。

親が愛さなくても、世界の誰かが愛してくれるならそれで良い。
愛されるに値する自分だったと氣づけるなら、それで良い。

あやもんさんが、どのような虐待を受けられたのかは分かりませんが、きっとつらかったのだと思いますわ。
そのつらさが真実でしょう。

そして、親御さんへの感謝は誰かに要求されてするものではありません。

感謝できる部分を、あやもんさん自身がいつか見つけられたなら、それによって楽になることはあるかもしれない。

だから、もし自然に見つかるなら大事にしてほしい。
でも無理なら無理で良いのではないですか?

無理やり感謝をひねり出す必要なんてありませんわ。

人生の前半、大変な想いをされた。
でも今、きちんと愛してくれる人が隣にいらっしゃる。

それは勝ちだとワタクシは思いますけれどね。

何の苦労もなく育って、仕事も家庭も、あやもんさんから見た理想を実現している方はたくさんいるでしょう。

逆に、何の苦労もなく愛情いっぱいに育って、けれど何も実現できないと悩まれている方もたくさんいるのです。

PTSDを発症するレベルの体験も、家庭では無かったとしても学校や職場で遭遇している人もいますからね。

で、これはあくまでワタクシ自身についての話ですが、自分のあらゆる人生の体験は

「所詮は乗り越えられる程度の出来事だった」

と思っています。

実妹と駆け落ちされたけれど。
家を買えるくらいの借金を押し付けられたけれど。

乗り越えられる程度のことだったのだと思うのです。

なぜなら、今ワタクシはこうして生きていますし、幸せ実感なことが多い日々ですからね。

経験はコヤシであり、プロフィールである。

そう考えた時に、かなりいろいろ楽になった感がありますわ。

ほとんどの方が、実妹に夫と駆け落ちされていませんし、金利だけで月給を大きく超えるレベルの借金を押し付けられた経験も無いでしょう。

では、ワタクシはそういう「ほとんどの方」を恨むかと言えば、その感情は全く想像が出来ないんですのよ。

なぜなら、その「ほとんどの方」がワタクシを苦しめた元凶ではないからです。

離婚した当時、離婚ということに周囲の理解は低く、そのために離婚したくても踏み切れないとか、離婚したことで人生を諦めてるとおっしゃる方が非常に多かったので、ワタクシはHAPPY STEPというメルマガを配信し始めました。

Magic Wandsの地盤のようなものです。

離婚はハンディキャップなんかじゃない。

そもそもワタクシでさえ、幸せだと思える人生なんだから、皆はもっと簡単に幸せになれるんですよと言いたくて始めたこと。

ワタクシは、人生をひとつの劇と考えていますのよ。

地元にいた時を第一幕。
大阪に出てきて結婚して、夫に駆け落ちされるまでが第二幕。
風水に出会って師匠に鍛え抜かれる第三幕。
Magic Wandsを創業して皆さまと歩むようになった第四幕。

こうしてみると、ふたつ前の幕のことがあまりにもど~でもいいんです。

もう一度同じ経験はしたくないけれど、第一幕と第二幕が今のワタクシを作っていて、そんなワタクシに

「出会えて良かった」「生まれてきてくれてありがとう」

と言って下さる方が、こんなにいらっしゃるんですもの。

世界でひとりワタクシをいじめた身内がいたから、何だと言うんです?と思っています。

そしてね、あやもんさん。

「失ったものよりも大きなものを手に入れない限り、自分は損を負わされた人生だ」

ここから、少し離れてみても良いのではないかしら。

失ったものと、これから手に入れるものを秤に載せて、未来の方が重くならないと人生として負け。

そんな計算をしなくても良いと思いますのよ。

失ったものの中には、取り返せないものもあるでしょう。

年齢。
当時しか出来なかった経験。
過去に叶わなかったこと。

それを全部まとめて上回る巨大な何かを未来に設定しないと幸せになれないとなったら、未来の幸福にものすごいノルマを背負わせることになります。

それ、未来のあやもんさんが大変でしてよ。

「失った分を取り返す」ではなくて、

「これからの私は、何が好き?」
「何があると嬉しい?」
「誰と一緒にいたい?」
「どういう時間を増やしたい?」

そこからで良いと思うのです。
失ったものより大きな目標なんて、探さなくて良い。

これから手に入れるものは、過去への賠償金ではありませんからね。
あやもんさんの未来は、あやもんさんが幸福になるためにあるものです。

それから、心の整理がつくまで無理に他人の幸せを願わなくても良いんじゃないですか?

無理なものは無理でしょ。

必要だった支援を受けている人を見て羨ましい。
自分が欲しかったものを持っている人を見てつらい。

今はそういう氣持ちになる。
それなら、それで良いと思いますわ。

その人たちを攻撃するのでなければ、心の中でまで聖人でいる必要なんかありません。

でも、今置かれている日々の中にある幸せには、ぜひ氣づいてほしいと思います。

そして、その幸せを一緒に作ってくれているであろうパートナーへの感謝の想いがどんどん膨らんでいったら。

そのうち自動的に、周囲の人の幸せも心底願える時が来るかもしれない。
祝福できるようになるかもしれない。

来なかったら来なかったで、それを無理に課題にしなくても良いでしょう。

大事なのは、他人を上手に祝福できる人になることではなく、あやもんさん自身が幸せになることです。

まず、そこです。

そしていつか、

「いろいろあったけれど、この人生、案外悪くなかった。」

と思えるところまで行けたなら。
失ったものとの大小比較なんて、その頃にはどうでも良くなっているのではないかしら。

そんな未来を、ぜひ狙って頂きたいと思っていますわ。

まとめ

失ったものより大きなものを手に入れなければ、幸せにはなれないのでしょうか?
失ったものと、これから得るものを比較して、未来の方が大きくなければならないと考える必要はありません。これから手に入れるものは、過去の損失を埋め合わせるためのものではなく、これからの自分を幸せにするためのものです。過去への「賠償」として未来を考えないことが大切です。
自分が得られなかったものを持っている人を見ると、羨ましくてつらくなります。
無理に他人の幸せを喜ぶ必要はありません。羨ましい、つらいと感じること自体を責めず、まずは自分の生活の中にある幸せや、自分を大切にしてくれる人との関係に目を向けてみてください。他人を祝福できることより、自分自身が幸せになることの方が大切です。
つらいことをされた親にも、感謝した方が良いのでしょうか?
感謝は、誰かに要求されてするものではありません。自然に感謝できる部分が見つかったなら大切にすれば良いですが、無理に感謝をひねり出す必要はありません。受けたことへの評価と、感謝できる部分があるかどうかは分けて考えて構いません。
過去に多くを失った場合、これから何を目標にすれば良いですか?
「失ったもの以上の大きな目標」を探す必要はありません。「これから何が好きか」「何があると嬉しいか」「誰と一緒にいたいか」「どんな時間を増やしたいか」といった、今そしてこれからの自分が望むことを基準に考えてみてください。未来は、過去を取り返すためではなく、これから幸せになるためにあります。

フェムト

夫が莫大な借金を残して実の妹と失踪!二人の子供を抱え途方に暮れた、もはやどん底?というところから、風水の力で復活した不死鳥系ライター。ねこが大好き。12月6日生まれ。
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