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渋沢栄一について その2
開運の極意!裏話

渋沢栄一について その2

明治以降に日本経済に大きな影響を与えた 高橋是清、出光佐三、御木本幸吉、そして渋沢栄一のことは 日本人はもっと知っておくべきだと思いますのよ。 渋沢栄一について その1

【渋沢栄一の足跡】

・1840(天保11)年2月13日に農家に生まれる。 ・尊王攘夷運動に傾倒。高崎城乗っ取りからの倒幕クーデターを計画。 ・高崎城乗っ取り計画実行日前日に中止。 ・京都に逃亡。 ・縁あって一橋家に仕える。 ・慶喜により、パリ万博使節団のメンバーとしてフランスに派遣される。 ・大政奉還によりフランスで路頭に迷う。 ・フランスの銀行システムを知る。 ・帰国後29歳で金融商社設立。開墾事業に着手。大蔵省に勤める。 ・第一銀行(旧第一国立銀行)設立。 ・JR東日本、京阪電鉄、東京ガス、東京電力設立でインフラ整備。 ・王子製紙(母体の抄紙会社)設立。 ・合計481の事業に関わり、日本経済を強靭なものにする。
前回のつづきです。

大政奉還により日本からの送金が途絶えて
フランスで路頭に迷った後、どうなったのか。
頭を抱える渋沢栄一に、ナショナルバンク頭取のフリュリ・エラールが
提案してきたのだそうですわ。

「うちの銀行は預かったお金を公共事業に出資して、
 利益が出れば出資額に応じて還元する。
 
 あなたのお金を預けてもらえれば、応分の配当金が出せますよ。」
この親切な提案を、なぜ自分に?という質問に対して
頭取はこう答えたそうですわ。

「ずっとあなたを見ていて、武士道を体現している方だと
 思っていたからです。
 
 主君によく仕え、仲間の面倒見も良い。」
生き方は開運に通じる。
まさにそんなエピソードだと思いますわ。

そして経済問題の解決と同時に
資本主義(合本主義)を学ぶのです。
このシステムを日本にも採用しようと考えた渋沢栄一は、
帰国して東京で活動を始める前に、まず静岡の慶喜のもとを
訪ねました。


すると、痩せ細って尾羽打ち枯らした風情の慶喜が
迎えたのですわ。
慶喜は、

「東京の前に、まず静岡で生活苦の旧幕臣を救って欲しい。」

というリクエストを出したのです。

なので、渋沢栄一は商法会所という金融商社を設立。
静岡の豪農からの出資で賄いました。
また、旧幕臣による開墾事業にも取り組んだのだそうですわ。
明治2年。29歳の時のことです。


この活動が評価されて、同年に大蔵省に勤めることにもなりました。
そして第一銀行(旧第一国立銀行)設立。
資本主義(合本主義)のシステムが日本に導入されました。


合本主義は公益性の追求が資本主義と違うところ。
企業活動の追求を公益に結びつけるため、
日本経済システムの中枢に銀行を置いたのです。
国民の預金が企業に出資されるのだから、
企業にとって国民は出資者であり利益還元すべき相手
という関係性を作ったのですわね。

国民=公で、企業からの利益還元は公益。
次にインフラ整備。
現在のJR東日本、京阪電鉄、東京ガス、東京電力の
設立者となりました。


紙のインフラという考え方から、王子製紙(母体の抄紙会社)も設立。
お札も紙ですが、新聞雑誌その他の出版物のような
情報のインフラは紙が不可欠と考えたからなのだそうです。


以降、合計481の事業に関わり、日本経済を強靭なものにしたのです。
単発イベントの社会事業も加えると600とも言われますわ。
現在も6割が残るという事業の数々を立ち上げた渋沢栄一。

カーネギーやロックフェラー的な人が想像されたりするらしいのですが
実際は違いました。

カーネギーやロックフェラーが実業家引退後に慈善活動をしたのに、
渋沢栄一は同時進行で慈善活動をしていたから。
そもそも、あんな世界的大富豪ではないのです。

なぜなら給料をもらっていたのは第一国立銀行からのみ
というから驚くではないですか。

あれだけ成長する会社を中心に合計481の事業に関わっていながら、
財閥を作ろうとはなさらなかったのです。


もうね、日本のことしか考えていらっしゃらない。
ただ、設立した会社の株は買っていらっしゃいました。

その会社の株価が上がると株を全部売って、
新しい会社立ち上げの原資に使う。

そんな風にお金を循環させていかれましたのよ。
目的は、強く繁栄した日本を作ること。


だから個人の儲けはどうでもいい。
だから財閥なんか作らない。
時代劇『大岡越前』でお馴染みの小石川養生所。

八代将軍吉宗が作った施設ですが、
一時は行政の管轄から外されたそうですわ。

「弱者救済にお金を回すのは無駄。
 他の事業に回した方がいい。」

とする議員たちの主張によるものなのだとか。
渋沢栄一は、これに大反対。
結局は自分で引き受けて院長になり、

「ここの院長を一生やらせて欲しい。」

と、生涯この小石川養生所の院長の肩書を保持したという話です。

たくさんの事業に関わった分、肩書もどんどん変わっていきましたのに
この院長肩書を生涯のものとなさった。
生きる姿勢がここに表現されているように
ワタクシは思いますわ。


91歳で亡くなった時、自宅から葬儀場まで並んだ見送りの人の数は
2万人と言われています。

もちろん、よくある「動員」によるものではなく、
お見送りしたい人が自発的に集まった数。
日本中を網羅する動脈を、愛国心で完成させた人です。

新しいお札の顔として、なんて誇らしい存在であることか。

日本に生まれて、渋沢栄一の恩恵を受けていない人はいないどころか、
いくつもいくつも重ねて恩恵を受けながら今を生きていることに
感謝しましょう。
Magic Wandsのお客様のmoeママさんの旦那さんは、
渋沢栄一さんの遠縁に当たるそうです。
お話を伺いますと、そんなに遠くないと思いました。


何せこういうタイミングで繋がりが判明していくのは
開運現象そのものなんですよ!


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
の一連の「渋沢栄一の足跡」は、評論家の守屋淳さんの談話を参考にまとめたものです。

もう、こんな風に日本を作り守られた方は文句なしに日本の宝でしょう。
これを機に、渋沢栄一さんという人のことをよく知って下さい。

そもそも、この偉人のことを学ぶ機会が無い教育環境が
どうかしていると思いますわよ。


agic Wandsのお客様のmoeママさんは、
ご主人が渋沢栄一さんの遠縁にあたるとのこと。

ここで渋沢栄一さんと繋がりが発生するなんて、
しかも金の氣年のエネルギーが発生し始めたタイミングで、
渋沢栄一さんという金の氣の英雄と、そっと繋がりました。

まさに開運現象です。



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