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食育の謎
開運の極意!裏話

食育の謎

食育という考え方があります。 いろんな食材の味を体験するとか、 その食材はどうやって来るのかを知るとか。 ですが、謎だと思うのは 屠殺現場を幼児に見せるべきという考え方。
食材の味や、世界の料理を体験しておくのは
ワタクシ個人の考えでも開運学的にも素晴らしいこと。


なぜなら、狭いカテゴリーでのメニューだけを
繰り返し摂取していると、それ以外の味覚に関して
受け付けにくくなる可能性が割と高いから。
社会人になって、仕事上の会食という機会は多いものですが、
食材の好き嫌いが多い人に氣を遣わなければいけなかったり
慣れない料理をさも苦手そうに食べていたりする人がいると、
微妙なムードになりますわね。

仕事の会食としては、全く望ましくない状況でしょう。
いろんな食材や料理に慣れておくに越したことはありません。

いわゆるゲテモノ系まで網羅する必要はなくても、
一般的食材の好き嫌いは無くしておいて、感謝して食べるというのが
開運姿勢の基本です。

また、魚がスーパーで売られている切り身で泳いでいる
なんて思わない知識も必要でしょうね。
ですが、たまに見かけるようになった
子どもたちに屠殺場面を見せようとする活動は謎ですわ。

なぜそんな必要があるのか。。
見せたい人たちの主な意見を拾って集めてみました。

1.魚をさばくところは平氣で見せるのに、
  家畜の屠殺はなぜダメなのか。
 
2.海外では子どもも屠殺場面を目にする機会が多い。
 
3.実際に起きていることは目にしておくべき。

4.生命の尊厳を知るべき。
  自分は海外で生活した時に獣の頭が並んでいる場面を見て
  日本の子どもたちも体験すべきだと考えた。

5.動物を殺すのは可哀そうと言うのに、
  肉は美味しそうと考えるのはおかしい。

6.肉系の食材がどんな風に作られるのか、キレイ事無しで
  子どもたちに知らせるべき。
1.魚をさばくところは平氣で見せるのに、
  家畜の屠殺はなぜダメなのか。
 

別に法的に禁止されているわけじゃありません。

でもね、魚が食卓に上がることが多い上に、
まな板の上で各家庭でさばける環境が日本にあったわけです。

モンゴルあたりですと、これが羊だったりしますわね。
国によって違いますが、日本は家庭で魚をさばく環境であり、
幼少期からそれが日常ですと、魚に関しては刺激の免疫もあるということ。

けれど家畜の屠殺は日常では無さ過ぎる上に、情が深い民族性から
愛玩対象と食材家畜との割り切りもしにくいので
徹底して日本人には向かないんですのよ。


日本人は農耕民族で、特に血を流すのも流れるのを見るのも合わない
土の氣の民族だということもポイントのひとつ。
2.海外では子どもも屠殺場面を目にする機会が多い。
 
上でも語っていますが、幼少期からそういう環境なら慣れます。

国によっては魚をさばく場面を受け付けない民族だって
存在するかもしれません。

魚の活け造りを「残酷だ!あり得ない!」と大騒ぎしたのは
どこかの外国人であって日本人じゃありませんしね。

で、海外で子どもが目にする機会が多いということと、
日本の子どもたちが見るべきということには何の関係も無いのでは。
3.実際に起きていることは目にしておくべき。

海外で子どもの傭兵が惨死している場面も目にしておくべきですか?

どうやって自分たちが存在しているのか知った方が良いと
アダルトビデオを幼児に見せるべきですか?


文書的に淡々と把握するだけに留めた方が良いものは少なくないはず。
4.生命の尊厳を知るべき。
  自分は海外で生活した時に獣の頭が並んでいる場面を見て
  日本の子どもたちも体験すべきだと考えた。


成人して、残酷なことや現実に対する認識も免疫も耐性も
年齢分のものをつけた上で海外で体験して衝撃だったことを、
なぜ「子どもたちにも!」になるんだか。。

生命の尊厳は知るべきですが、方法は選ばないと
尊厳を知る以前な結果になる可能性が高いはずでしてよ。
5.動物を殺すのは可哀そうと言うのに、
  肉は美味しそうと考えるのはおかしい。


何もおかしくないと考えますわ。

動物を無駄に殺すのなんてあり得ませんし、
事故その他で死んでいくのは可哀そうです。

それこそが生命への尊厳でしょう。
消えていく生命を惜しみ、大事に想うのは普通。
けれど食肉として目の前にあるものは生命が去った食材。

大事に頂くこと。感謝の心を忘れないこと。
無駄な使い方を絶対にしないこと。

こういう姿勢を教えることの方がはるかに大切なのでは。
6.肉系の食材がどんな風に作られるのか、キレイ事無しで
  子どもたちに知らせるべき。


人は「綺麗事」という言葉にナーバスに反応しやすい傾向にあるので、
少し後ろめたいことを正当だと主張する時には
「綺麗事無しで」というキーワードを意識的・無意識的に入れるものです。
現実は、様々な痛みを伴う通告や何やらが
オブラートに包まれたりキレイな言葉でラッピングされたりして
社会でやり取りされているにも関わらず、
子どもたちだけに綺麗事無しの修羅体験をさせようという意味が
よく分からないですわ。


割とどんなことでも綺麗事から入って、
後に厳しい現実を体感する順序で経験を積むものなのでは。
この食育に関する考え方はワタクシの考え方。

屠殺場を見せるべきと考える親が我が子に見せるのは自由で、
その子どもは災難ですわねと感じるのはワタクシの自由です。
心理学をやっていた時に知ったデータのひとつとして、
生命に対する尊厳どころか、生命が奪われる場面の刺激で不安定になり、
身近な動物を殺傷するようになった例がありますから。


また、戦後の食べ物の無かった時期に、
飼っていた鶏をとうとうしめて食べるということになったけれど、
決して食べられなかったどころか、
その後一切の鶏肉が受け付けられない体質になったという例なんか
ひとつやふたつのケースじゃありません。
人の心というものは、突然やってきた強い刺激に対して
極端に不安定になり、その安定先を求めてどう動くか未知数です。

人によっては身近なものへの殺傷欲求になり、
人によっては肉食拒否になり。
強い刺激の前には、「見ることで情報を手に入れる」という
そういう目的も何も吹き飛んでしまうことを知った上で、
その体験がその人にとって強過ぎる刺激にならないかどうか
吟味するのは必須なのではないかしらね。
食育のこういう極端な(とワタクシは考えます)話は、
ずっと一部の人たちが信じて、理解者だけが実践しているもの
と思っていましたのよ。


けれど最近目にする言葉が。。

「幼稚園でそういう(屠殺系)イベントがありまして、
 見せておくべきなのは分かっているのですが、
 我が子には刺激が強過ぎて、かつてちょっとしたことで
 夜泣きが止まらなくなったこともあって、お休みにしました。」

的なものが増えたように感じます。
結果的に見せなかった親御さんの

「見せておくべきなのは分かっているのですが」

という認識は、いつどこで生まれたものなのか。

見せておくのが常識のような教育現場のムードなのか。

そもそも幼稚園でそういうイベントってどうなのか。
屠殺現場を見せておくべき派の人が、完全理解者の会の中で
誰にも迷惑をかけない。。

その子どもたちが、どのベクトルで精神不安を埋めたとしても
一切誰にも迷惑をかけない責任をもってやる分には
勝手になさったら良いことです。


けれど、一般人を強めに誘い込むことには
神経を使うべきだと思いましてよ。
子どもに屠殺現場を見せたくない派のお母さまたちも、

「見せておくべき!生命の尊厳が!食材の現場が!」

と誰かに強く言われたとしても、自分がなぜ
子どもに現場を見せたくない派なのか
しっかり考えを確立させておいて

「本当は見せておくべきだと分かっているんですが」

なんて迎合しないで自分の考え方を穏やかに伝えて住み分けた方が
お互いにとってプラスなのではないかしらね。
現実を目の当たりにすることだけが
正義じゃないと思いますけれどね。


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
材を、どんなに教えても無駄にし過ぎる子どもたちに、
最終手段で屠殺現場を。。というのはアリなのかもしれません。

ワタクシには取れない手段ですが、そういう考え方もあるのでしょう。



タクシが生命が奪われる現場を見たことによる精神不安定が
周囲の小動物たちへの殺傷に至ったデータとその傾向を知ってしまっていること。

それから、世間を震撼させたある未成年犯罪者の家族の手記から、
その家庭環境がいわゆる「知っておくべき」を最優先させた家庭で、
その少年犯罪者にとっては想像を絶する刺激に晒されただろうに、
家族は正義と信じて疑わず、手記にもむしろ誇らしい躾のひとつとして
書かれていたこと。

その少年犯罪者は鳥や猫に対して容赦ない残虐性を発していたこと。

こういうことを知ってしまうと、キャパを超えた精神刺激は
勝ち目の低すぎる博打だと思うので、
決してワタクシには取れない選択肢なのです。



ういったことを解決させた上で、将来的にも何も問題を発生させない
そんな方法だってあるのかもしれませんわね。

ワタクシには思いつきませんが。


妻の出産現場に立ち会ったことで、鬱を発症させる夫もいるというのに、
子どもの精神刺激を軽く考えるのは危険でしょう。

せめて、見せたくない派に押し付けない姿勢は守ってもらいたいものです。
住み分けは運氣を守る基本中の基本でしてよ。

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