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選択的夫婦別姓制度 | 開運の極意!裏話 | 開運パワーストーンアクセサリー Magic Wands(マジックワンズ)

開運の極意!裏話

選択的夫婦別姓制度

2019.5.9

平成最後の裏話として、女性天皇と女系天皇の違いについて お話ししました。 その時、路傍の石くらいの感覚で夫婦別姓に一言触れたのですが メッセージを頂いたようなので、改めて説明する必要性を 感じた次第。 では、どこまでお伝え出来るか分かりませんが、 なぜダメなのか、運氣NGになるのかを語ってみますわね。 この問題、姓という家族識別機能に対して 個人識別機能を期待するから、無駄にこじれてるんですが。
今日はちょっとどうなのかなぁと思ったことを書いてしまいます。
夫婦別姓についてのお話です。

夫婦同姓になったのは明治30年代からと法務省にあります。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji36-02.html

本当に家族制度崩壊に夫婦別姓は繋がるんでしょうか?
夫婦別姓が進歩的とか思っているわけではありません。
(そんなこと言う人たちもいるんだと
 この件で検索してびっくりしました。)

時代背景によってこれまでも変わってきたのだから、
今再び見直す方が良くないですか?と思っています。

フェムト様にこんなこと書くのもどうかと思いつつ、
少し残念に思ったので書いてしまいました。

お目汚しですみません。
残念に思わせてしまってごめんなさいね。
ほんと申し訳ないです。


では、なぜこれが問題で運氣的にもNGなのか
分かりやすい説明になるかどうか心配ではありますが
お話ししてみます。
法務省が言う通り、氏の制度は江戸時代までは武家のもの。
平民には許されていませんでした。

明治になって戸籍システムを一新した時に
平民は慌てて苗字を作ったのですわ。
慌てて作った結果、目に入ったものや家の周囲の環境、
尊敬する人に名付け依頼、普段から憧れているもの、
その他もろもろの方法で苗字を作ったことは
よく知られていることだと思います。

よくある苗字から珍名さんまで、たくさん誕生しました。
そんなわけで、苗字は少なくとも公式には
明治時代まで平民には無かったということになっています。


ただこれ、仮に明治時代まで無かったからと言って

「だから伝統でも制度でも無い」

とは言えないくらいに年数経過していますけれどね。
明治9年の太政官指令とある夫婦別氏制という

「妻は妻の実家の苗字を使え」

が大コケした背景も、
後ほどの説明ではっきりするかとは思いますが、
ひとえにその時まで家族の概念が同一姓
(姓に似たものも含む)で
完成していたからこそ定着しなかったと
言われていますわね。
法律上は明治31年になってから
同一姓ルールになったようですが、
そもそも明治9年の別姓指令がガン無視されていますから、
それより前の慣習化してきた期間・歴史も考えれば

「明治31年から始まった同一姓システム」

とデジタルに解釈すると、
実際に起きたこととは合わなくなりそうですわね。

法が民間の慣習に負けて、追いかける形で同一姓ルール
になったのですから。
とは言え、仮に明治31年に初めてスタートした
同一姓ルールだったとして、2019年の本日までに
122年経過しています。


明治31年から数えても1世紀以上経過しているのですから、
伝統と言っても良い十分な年月ですわね。
でも実際はもっと長い歳月が日本の家族観を作っていて
その後追いの形で戸籍ルールが出来ました。

日本の家族観は、それこそ長い年月をかけて作られてきた
民間感情論といったところでしょうか。
地元に守られてきた鍾乳洞を

「道路通そうと思うから粉砕しておいてね。」

と言われても地元住民は「よそを通れ」
と言ってまず従わないだろうと思いませんこと?

ここで話した鍾乳洞が日本の家族観です。

それでも家族観の形は少しずつ変えさせられてきていますが。
現在、日本国憲法第24条で
家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等に関する規定があります。


日本国憲法第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、
夫婦が同等の権利を有することを基本として、
相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、
離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、
法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、
制定されなければならない。


それから民法第750条
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
夫婦別姓を認めない民法の規定について、憲法違反なのではないかと
裁判になったことがあります。

最高裁の判決は「合憲」ですわ。


ただし、15人の裁判官のうち5人が「違憲」と判断していますのよ。
そのうち3名が女性裁判官。
女性裁判官3名と男性裁判官1名の主張は、
主に以下のようにまとめられるかと思います。

ちょっと難解かもしれませんけれど、
出来るだけさっくりまとめたので面倒でなければお目通しを。


女性の社会進出によって、婚姻前の姓を使う合理性と必要性が増している。

多くの場合女性が姓を変えることになるが、個人識別機能を損ねられ、
自己喪失感といった負担を負うため、個人の尊厳と両性の
本質的平等に立脚した制度とはいえない。

そのため法律上の婚姻をしない者を生んている。
ということは現状は婚姻の自由を制約しているから
民法750条は「婚姻の自由」を定めた憲法24条に違反する。

現代は姓が持つ家族の呼称という機能をそんなに重視出来ない。
残る一人の男性裁判官の主張。


結婚する時にどちらかの姓を選ばなくてはいけないのは
平等ではない。


要するに反対派4名は女性が不利という主張。
1名が性別関係無しに不平等という主張ですわね。
合憲判決が出たのですからワタクシが追加して
物を言わなくても良いとは思うのですが。。


ワタクシの主張。
これもサックリと上の主張に反論してみます。


事実婚選択する者が出ることに何が問題があるのか。
婚姻に関する自由を重視するなら、
婚姻しない自由も認められるべき。

姓が持つ家族の呼称の機能を重視する現代ではないと言うなら
姓が無くなっても問題無いのでは。
姓は家族の呼称として存在するものなので。

結婚すると妻が姓を変えるという前提で女性差別というなら、
結婚する時に夫が姓を変える選択肢がある以上差別とは言えない。

個人識別機能は、名前があるために損ねられないのでは。
姓は家族、名は個人を表すものなのだから。

社会進出と「だから旧姓使用の合理性と必要性が」との間に
繋がりが見えない。
本当にその合理性と必要性があるなら通称として現代でも
旧姓を使う例はある。

通称が公的書類に使えないのが問題というなら、
具体的に何がそんなに問題なのかを提示して欲しい。
在日外国人は、むしろ通称を積極的に使用しているわけで、
公的書類と使い分けることに大きなハードルがあるとは思えない。

同一姓になったというのが、家族になったという表現のひとつ。
姓は家族呼称なので。

そのことによって自分の存在うんぬんを悩むのであれば、
それは婚姻相手と家族になりたくないと言っているわけで、
婚姻しなければ解決するでしょう。

感情論で、現在の日本の家族制度の柱のひとつを切ろうとする
理由は何なのか説明して頂きたい。
さて、家族制度の崩壊と選択的夫婦別姓制度との関連性に
移ります。

「明治時代に入るまで日本の家族制度は無かったのか?
 平民には苗字に代わるものは無かったのか?」

ということなのですけど、ありました。
川の上に住む権太さん、洞窟入口のとこの梅さん、
田んぼの横の清さん。

他にも家の代表者の職業で語られたり、
基本は

「どこの家族に属する●●さん」

という扱いなわけです。
明治になって、この「どこの家族」なのかを
武家のように記号化した方が
どう考えても合理的だということになって

「苗字決めてね。」

とお達しが来たから、さぁ大変。

大抵の場合は、今までの生活環境を維持するために
大きなイメージチェンジにならないように苗字を決めたと
ワタクシは教わりました。
川の上に住む権太さんは川上権太さんになり、
洞窟入口のとこの梅さんは、洞口梅さん、
田んぼの横の清さんは、横田清さん。

そんな感じ。
このように、

苗字は家族を表す名称。
名前は個人を表す名称。

という役割分担があるのです。

名称はいわば記号ですが、
苗字は公の記号で名前は私の記号。

姓名は公私の組み合わせで出来ていますのよ。
この「公」を個人で選べるようにしよう!
時代に合わせて!

という流れがあるのですが、
なぜ「公」のものを「私」の感覚で触って良いとするのか。

まずこれが大きな問題なのですわ。
イソップ童話に『鳥と獣と蝙蝠』というのがありますわね。

コウモリが臨機応変に自分の所属を鳥類にしたり
獣類にしたりするのですが
これね、それぞれのコウモリに

「好きな分類選んで良いよ。
 個人の自由の尊重が時代の流れだからね。」

とやっちゃったら、私たちはコウモリを調べる時に
何の図鑑を見れば良いのですか?ということ。

鳥図鑑?動物図鑑?
コウモリが「今日からコウモリじゃなく、モリコウと呼んで!」
というのは自由です。

が、分類という「公」の部分を好き勝手にすると、
分類効率は極端に落ちます。
上の名前を使って発生し得る混乱状況の例を語ってみますわね。
「洞口梅さんにお孫さんが生まれたよ。戸籍に加えよう。」

「洞口梅さんって、田淵さんの奥さんの?
 それとも川上さんの奥さん?」

「川上さんの奥さんだね。
 出産した娘さんの苗字は横田さん。」

さて、正しく自治体の手当は支払われるのか。。
こういうのは?

「お名刺ありがとうございます。
 そうですか、富士銀行(仮)にお務めですか。

 あれ?今富士銀行ってありましたっけ?」

「いえ、本当は今はみずほ銀行(仮)なんですが、
 富士山が好きなので合併前の富士銀行(仮)勤務
 と言うことにしています。」
ここまでで、苗字の重要性と役割を語って来たつもりですわ。

さて、現在提案されている「選択的夫婦別姓制度」なるものを
考えてみましょう。

結婚する時に、同姓にするか別姓にするか
選べるようにしようよ制度です。
子どもが生まれた場合には、

案1:結婚時に二人の子どもの姓をどうするか決めておく。

案2:その時その時で個別に決めよう。
案1なら
川上権太さん洞口梅さん夫婦と
川上太郎さん川上花子さん兄妹が家族。

もしくは
川上権太さん洞口梅さん夫婦と
洞口太郎さん洞口花子さん兄妹が家族。
案2ともなると、

川上権太さん洞口梅さん夫婦と
洞口太郎さん川上花子さん兄妹が家族。

そこに養子の横田則子さんも入ったりすると
苗字は三種類ですわね。
よくある二世帯~三世帯の家の表札も
すごいことになっていきます。


荷物や郵便物の配送トラブルも容易に想像がつく
カオスが展開されることでしょう。
今の制度が夫婦同一姓で、婚姻時に自分か相手の姓の
どちらかを選ぶのですけれど、
それは自分の分類の決定。

ファイリングデータの決定です。

何に所属するのかを決めるということなのですわ。
これが家族制度。
だからこそ申し上げます。

選択的夫婦別姓制度は家族制度の崩壊。


ファイリングデータという公的データは、
感情論や個人の便宜的事情では触るに触れない
別世界のもの。

なのにその時空を超えて

「触れるようにしよう」

と言う提案なのですから。
次に「選択的夫婦別姓制度」にすべきと考える方々が
列挙する理由について見てみましょう。


「結婚する時に選べるって言っても、
 普通は夫の苗字でしょう?

 それは男女差別!」


頭おかしいですね。
自由選択なので、自由に選んで下さい。
「ずっと旧姓で仕事してきて名前も浸透してきたのに、
 ここで名前が変わるとキャリアが切れる。

 かと言って、相手も同じ事情を抱えている。

 選択的夫婦別姓制度を認めないのは結婚率を下げることだ!」


「名前が変わりました」
と連絡すれば良いだけの話ですね。

キャリアは名前につくのではなく、
本人の経験につくのですから。
「苗字が変わると、自分が消えそう。
 相手に取り込まれそう。」


引っ越せば所属地域は変わるし、
転職すれば所属会社は変わりますが、
その度に「自分が消えそう」
と悩むのかどうか考えてみて下さい。

悩まないのに結婚で苗字が変わることに
自分の存在消滅を感じるのなら、
よほどその相手と家庭を持ちたくないのかもしれない
と疑った方が良いかと。

これは選択的夫婦別姓制度以前の問題ではないか
と思いましてよ。
ちなみに、引越も転職も「同じく自分が消えそう」と感じるなら
やらないという最強の選択肢があります。

ローカルな話題で恐縮ですが、大阪府茨木市に住んでいるのに

「茨木は田舎で名乗りたくないし、今まで住んでた渋谷の方が
 友人たちも住所知ってるし
 渋谷在住ってことにする。」

と言われても、あらゆるところで支障が出ますわね。

お友だちも、宛先不明で戻ってくる年賀状に
困惑されることでしょう。
「制度は時代の進化に合わせて変化すべき。」

ある程度同感ですが、変化が退化になるのは頂けません。

個人の自由が優先される時代価値観になっても、
個人の自由の下に置いてはいけないものがありますわね。

それが「公のもの」です。

自由に出来るのは「私のもの」です。
「希望者が存在するのだから、制度変更で対応すべき。」

これ・・・・何が問題なのか説明必要ですか?
イタチの最後っ屁のような主張ですが。
じゃ、
「制度変更反対者がいるのだから、制度変更は拒否すべき。」

が、即座に返ってくるブーメラン名人芸主張。

いやもうそれ以前の問題ですが、どうしましょうかね。
受け入れたら、法治国家の維持すら怪しくなる主張です。
こうも言えますわね。
「希望者が多いので、多重婚も認めるべき!」

男性には特に多そうですから。
多重婚希望者。
「そんなに全否定しなくても、
 希望者だけ別姓認めればいいことでしょう。

 皆が皆、別姓を希望するわけではないし、
 一部の希望者に別姓を認めるようにしようよ
  って提案ですよ。」

そういう人たちは、
家族制度戸籍制度の崩壊リスクを抱えなくても

事実婚で対応可!

なぜ国の制度から変える必要がありますか?
事実婚でも戸籍上の婚姻に準じる国の保護はありますわよ。

それとも「準じる」保護じゃイヤ?
苗字変わるのもイヤだけど。と。


本来、同一姓を受け入れた、そういう義務を果たした
戸籍上の婚姻者に認められる権利なのですから、
準じる権利が認められているだけでも、相当に優しい国だと
ワタクシは思いますけれどね。。
最後に、家族制度が崩壊した場合の
デメリットについて語ってみます。

●戸籍の管理ミス発生の確率が飛躍的に上がる。

 受けられるべき保護が受けられないどころか、
 生死の判定も正確さを維持できるかどうか不明。

 また、管理事故リスクの上昇は
 戸籍乗っ取りリスクと正比例します。

 しばらく会っていない親戚が、
  見たことも無い外国人になっていたり、
 その発覚を防ぐために非合法手段を取られて
  被害者になることもあり得ます。
●伝統の崩壊。

 全国民が苗字を許されたのが明治時代になってからとは言え、
 家族で分類という感覚ははるか昔からあります。

 そもそも公式に武家は苗字を持っていたわけで、
 苗字の伝統が「明治から」という感覚自体が間違い。
●「家族意識の希薄化」

 感性の問題とは言え、現状と比較すれば
 同一の空間で過ごしていても
 違う所属を名乗る相手に感じる家族意識は薄くなると
 考えられます。

 長時間一緒に過ごす職場の同僚の方が
 より近く感じるようになるかもしれませんわね。

 同じく「違う苗字」ですが、過ごす時間は同僚の方が長い。

 子どもの有無でも違ってくるかもしれませんが、
 違う苗字の子どもに我が子意識を
  今のレベルで維持出来るかどうかも
 人によっては不安定なことになり得ます。
親子の絆を作るのは遺伝子だけではありません。

遺伝子以外に何を共有してきたか。

「時間」「思い出」「思考・感情」「役割」

現在の家族の感覚の中にある「遺伝子の継承」が
跡継ぎと表現され、
苗字を継承することで公式表現している現状で
別の苗字ともなれば、ここにも希薄化のリスクが発生します。
「子はかすがい」

が、かすがいにならないリスクが発生したなら、
会社内が家庭で、実際の家庭より家族感覚を持ってしまう
ということが非現実的とは言えなくなっていきますわ。


これももう、まっすぐ家族制度の崩壊でしょう。
個人主義が主張されるようになって、
日本の繁栄発展のスピードは急速に落ちました。

それは、個人主義ともなれば
「傍を楽に=働く」の意識は希薄になりますから
資本主義より社会主義の精神に近づきますしね。
そうなると繁栄発展なんていう社会や国の方向性より
目の前の自分のことを重視する傾向が強まります。

誰かが大事なことはやってくれるだろうから、
自分は目の前の個人的快楽の追及に進み、
それこそが幸せだと思い込まされるようにもなりますわ。

だから、国の繁栄発展のスピードは落ちやすくなる環境。
で、次は公の範疇にある苗字の制度にまで
個人主義を持ち込もうというのですから
これは日本に対する戦争という形を取らないステルス攻撃にも
発展する可能性もあると考えます。
あぁ「海外では別姓でも上手くいってる夫婦がいる」とか
そういうのはいいです。


「うちの近所の老人はヘビースモーカーだったけれど
 100歳まで生きた。」


みたいなイレギュラーデータは役に立ちません。
「海外では別姓は離婚率に関係無いようだ」
とかの意見もありますかしら。

それ、どうやって同一姓社会と比較して
データ出すんでしょうね。
その国も途中から同一姓から選択別姓になったのか。

フェアなデータを取るには、異常にハードル高いはずですが。
このように、リスクは複数しかも深刻なものが考えられるのに、
メリットが見えないどころか、制度変更無しで
対応出来るものを、感情論や感性頼りで
劣化させようとする動きは悪徳。


対象が国の制度だけに、
自分自身運氣地盤に切りつけるようなものです。
だから運氣NGなのです。
公私は切り分けて考えるべきですね。
そこが融合すると、何でも崩壊しますから。


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
つて日本は家と家の結びつきが婚姻と考えられていました。


これが個人と個人の関係になって、婚姻は新しく
独立家庭を作る事となってから、
離婚率は激しく上がりましたわね。


それは良いこととも悪いこととも申しません。



同士の関係だった時代には、
夫婦関係が完全崩壊していても
どんなにつらくても、
自分以外が関わってくるというところから
尋常ではない忍耐力で乗り切っていたと思われるからです。


この感覚が「個人」になった分、個人の幸せは増えて
家の制度は形骸化しました。


けれど良いとこ取りを追求していくなら、
現状がギリギリ危ういながらもバランスを
取っていると考えて良いのではないですか?



族関係も大事。個人の幸せも大事。

でも、家庭内でも自我こそが最優先という選択をしないと
不自由だ強制だ差別だと主張するなら、
家庭の意味から見失うことになりませんこと?

家庭は社会の最小単位ですが、その社会においても
自我主張が当たり前で、「差別!」という葵の印籠で突破して
それが時代の変化とともに受け入れられるべき
というのがネットで見かける主張です。



会・団体の私物化と時代の変化とが無関係過ぎて、
なぜこんな主張が多少なりと市民権を持っているのか
ワタクシにはよく分かりません。

ここで別の事例を挙げると、よりデリケートな問題に
踏み込んで語る必要が出て来かねないので
具体的には申しませんが、既に

「所属を好き勝手に変更主張する自由を認めろ」

という動きは日本だけでなく発生していて、
すっかり犯罪の温床にもなっているようですわね。

日本は冷静に学んだ方が良いでしょうね。


、このタイミングで立憲民主党の枝野代表が
2019年5月4日に選択的夫婦別姓について
以下のようにおっしゃいました。

「結婚して、今までなじんだ名前を変えることになったら、
 (女性に)圧倒的に不利益が生じる」
「(導入しても)誰も困らないし、一銭もかからない。
 参院選を通じて訴え、多くの賛同をいただきたい」

女性に圧倒的に不利益になると断言なさっていますが、
その辺については上で語っていますのでカット。

誰も困らない
=伝統文化が壊れても表面的には誰も困らないかもしれないですわね。

一銭もかからない
=システム変えるのに、ざっと10億ですかね。
 審議するのも1日3億かかるんじゃなかったかしら。


頭でも申し上げていますが、
この問題は姓という家族識別機能に対して
個人識別機能を期待するからズレていくのです。

机に調理機能がついていないのは問題だと言っているようなもの。

婚姻の根本の概念からひねくり回して、論点がどんどんズレていく
この問題は女性差別でも何でもないでしょう。

つまり、姓は姓として忠実に機能を発揮するには
現代のルールに問題は無いはずなのですが、
そこに関して無駄変更を加えるのに労力を割いて
伝統文化家族制度に異変を発生させるリスクを帯びさせるために
多額の税金と時間を使ってしまおうという提案は、

・・・・いやはや・・・・なかなか。。。。
マジックワンズの皆様、いつもありがとうこざいます。

今日は選択的夫婦別姓について取り上げていただいたお礼です。

なぜ重要なのかの部分はなるほどなあ、
軽々しく扱ってはいけないのねと感じました。

この件で調べる中で中世以前から武士以外にも
(私的に)姓を名乗っている記録があることも知ることができました。
奈良の方のお寺に記録が残っているそうです。

ありがとうございました。


国としては100億円の予算を使って住民基本台帳と
マイナンバーカードに旧姓も併記できるように決定してます。

パスポートはまだ検討中のようです。

この改修によって姓が変わることでの事務的な不都合の
大部分が消えるといいとは思います。

ただし、そのマイナンバーカードを持って旧姓OKと
してくれる仕組みに社会がならなければ意味がありませんけれど。

お礼まで。
フェムトより
武家社会だった頃のお話ですが、
奈良に限らず、ほぼ全国で「姓を勝手に名乗る」人たちは
いたはずです。

何の資料だったか忘れましたが、複数の地方資料で
昔確認したことがありますわ。

武家社会において、武家は憧れの対象になることもあり、
姓のみならずなんちゃって刀を差して歩いてみたりとか。

木下藤吉郎・後の豊臣秀吉も、武家に強い憧れを持っていて
武士を通り越して関白にまでなったわけですが、
まぁ当時の憧れは現状の身分への不満と
表裏一体だったということでしょう。


「住民基本台帳とマイナンバーカードに旧姓も
 併記できるように決定してます。」

こういう決定事から、「それが出来るのだから選択式夫婦別姓に。。」
という論調になるから、ここまでで阻止すべきだと考えていますわ。

併記決定で話が進んでいるのは、いわゆる蟻の一穴になりかねません。

普通、直接は関係ない単なる改善と感じられるようなものが
後々とても深くて重大なことに響いてくるのは
本当によくあることですから。


ですが、今回のご質問は

「本当に家族制度崩壊に夫婦別姓は繋がるんでしょうか?」

ということでしたので、その点についてのワタクシの解釈を
語らせて頂きました。

ワタクシの解釈とは言え、ワタクシと開運学・東洋哲学のルールが
一致しない場合は語りません。
Magic Wandsは、開運理論と一致していないワタクシの主張は
するべきでは無い場と考えております。

これに関しては、創業以来一貫しているつもりですので、
「あぁルールがそうなのか。」
と解釈して頂くと、非常に話が早いかと思われます。

要するに反論されてもどうにも困る部分ではあります。


今回のテーマはご質問に回答する形で語っておりますが、


「なぜ重要なのかの部分はなるほどなあ、
 軽々しく扱ってはいけないのねと感じました。」

とのことですので、家族崩壊するという結論に納得して頂くには
足りない説明だったのかもしれませんわね。

ですが、開運学・東洋哲学の知識が増えていくことによって
何かしら新しい発見もあるかと思います。

その時に、ここでのお話を思い出して頂けると幸いです。


旧姓併記システムの進捗や、
既に手を付けられた分野であることの是非は
また別問題ですわね。

ただ、この場でもお話ししているように、既にてをつけられていることが
リスキーな蟻の一穴にならなければよいのですがと見守っています。

ファミリーネームとファーストネームの意義が世の中で混同されて
用途整理・脳内分類が出来ないうちは、この問題は蒸し返されて
蟻の一穴も数が増やされていくのでしょうね。

家族制度崩壊と引き換えに手に入れる利便性は、
そんなに値打ちがあるものなのか不思議です。

ワタクシ、結婚も離婚も経験して独身時代から継続していた仕事その他
社会的な立場もあった人間ですが、そんな大事なものを失うくらいなら
全く手間を厭わないので。

100円と一億円を交換するような印象を持っているのです。

けれど、利便性の方が大事と考えられる方もいらっしゃるからこそ
こうしたことが問題として浮上するのですし、今の利便性のために
伝統を守れ!という氣にならない方も少なからずいらっしゃる
とワタクシは思います。

ワタクシの感情は伝統を守れ。ですが、
開運学としても伝統保護を選択すべし。となります。

さてこの件は、ここで締めさせて頂きたく存じます。