謙虚さ その2
開運の極意!裏話
謙虚さ その2
リクエストを頂きました☆
謙虚さとは何か。
分かっているようで分かってなかったかも。
だから、良かったら裏話で語って欲しいとのこと。
前回に引き続き 一緒に考察しましょう。
謙虚さの敵は 「自分を思いっきり評価して!」 これが、敵になって来ると前回申し上げました。 要するに、「チヤホヤされたい!」欲求です。
これね、ろくなことになりません。 例えば、特に家庭に不満があったわけでもないのに不倫に走るケースの 根源にあるのがこれ。 「浮氣はされる側にも原因が~」 なんて、もっともらしい意見を耳にしますけれどね。 そういう場合もあるんでしょうけれど、 そうじゃない場合もありますわよ。
慣れた環境内。。例えばこの例ですと家庭ですわね。 特に刺激もなく、安定したムードが続くのが家庭。 家庭は土の氣ですから、そういう状態がむしろ理想となります。 けれど、チヤホヤされたい欲求に支配されると、 外で改めて自分の性別を意識してくれるような言葉や ドラマチックと錯覚するようなムードに捕われて そこに新しい幸せがあるかのように思わせられる確率が上がりますの。
チヤホヤされたい欲求は、いろんな表現に置き換えられますが、 「私を●●として見て欲しかった」 「寂しかった」 なんていうのが一般的でしょうか。 何にしても、チヤホヤされたい欲求を飼い慣らさなかったばかりに いろんな人を傷つけたり、全てを失う結果になったりするのは あまりにもバカらしいことです。
チヤホヤされたい欲求は、自分の評価を他人に求める割合が高い時に発生します。 謙虚さはその逆。 自分の評価を自分にシビアに求める割合が高い時に発生しますわ。 シビアに。。です。ここ大事。
他人への評価依存は、本当に苦しいだろうと思いますわよ。 そもそも、他人は自分自身ほどの熱意で自分を評価するわけではないのに、 その熱意を求め続ける傾向が強くなります。 「私を見て!」「私だけをきちんと見て!」「細かいところに氣づいて!」 「もっと評価して!」「そんなに関心無いのって愛情無いんじゃないの?」 自分自身での評価割合が高い人は、他人のわずかな関心でも ありがたく受け取ります。 「あ、見て下さってたの?ありがとう。」「それだけで本当にありがたい。」 「思っていた以上に氣づいて下さっているなぁ。」 仮に周囲が両者に全く同じ態度を取ったとしても、 心の反応はこんなに違うのですから。
この、自分自身での評価割合が高い中でも、 上でお話しした「シビア」なものが謙虚さを生むとワタクシは考えます。 だって、どんな未熟な状態でも自分で「完璧!!」と評価していたら 謙虚さも何もありません。 それはもう原点に立ち返った「肥大化した自我」の範疇ですわ。(笑)
真の愛情ってね、目の前のリアルな姿を否定して 理想の姿を妄想して「問題無いから、だから好き!」 というようなものでは無いでしょ。 問題は誰にだってある。 自分にも、愛したい誰かにも当然あるわけです。 そういうものがあっても好きで、受け入れられると感じた時に 真の愛情が発生しているのではないかしらね。
なので、自分の中の問題点や能力や全てが未熟であることは それはもう当たり前で、その当たり前の状態も含めて自分を受け入れて 「好き」 と感じる状態を維持すること。 そして、その問題点を改めて自分で未熟と認識したなら 徐々にでも改善方向に進めていく意識をすること。 これが謙虚さの発生と利用法なのではないかしら。
謙虚さというのは、卑下とは違います。
自分を貶すことが謙虚さではなく、
「今の自分は、能力も含めて全て自分だけの手柄かしら?」
「本当に合格点出せますか?私の理想はそんなに低いですか?」
と、頻繁に自分に問いかけることなのでは。
そう思うのです。
間違っても、処世術のひとつなんていう薄っぺらいものではないでしょう。
今回の「謙虚さ」のリクエストのきっかけになったのは、 「ネットでお友だちがたくさん出来て、人氣者な立場だったけれど、 いつの間にかその環境でも人間関係のトラブルを発生させるようになって、 思うにこれは謙虚さが不足しているからではないのか。 あれ、謙虚さとは何か。。」 と悩まれた、愛乃さんからのメールでした。
思い通りにならないと、よく泣いていた時代。 激しい自己否定時代。 そこを経て、今の「謙虚さって何?」に到達。 歩みを止めることなく、一歩一歩自分で考えて前進して、 あちこち頭をぶつけながら悩んで、それでも進もうとする意志。 ワタクシは愛乃さんにそいう姿を見ます。
ありがたくも、誰かにお褒めの言葉を頂くことがあったなら、 それはもう心のご褒美として全力で味わって、 それでも自分は自身にシビアな言葉を心の中でかけましょう。 甘やかすおばあちゃんからの優しさと 厳しく躾ける母親からうける鍛錬を 両方とも大事に受け取っていくような姿勢で。。
周囲の能力は、周囲への関心でもって反応して(外側ベクトル) 自分の能力は、自分の内側への関心でもって反応する。(内側ベクトル) これが健全な流れという感覚でいますわ。 逆に 周囲の能力は、自分の内側への関心でもって反応して(内側ベクトル) 自分の能力は、周囲への関心に大いに期待する。(外側ベクトル) となると、周囲の能力は自分の飼い慣らし損なった感情フィルターを通して 好きなようにゆがめて貶したり。。 自分の能力に関しては評価乞食になって、 常に飢えて心が不安定になる可能性大ですから。
健全ベクトルを維持した上で、自分を切磋琢磨する。
この繰り返しの中から、謙虚さは自然発生するものだと
ワタクシは思っています。
自分の評価を爆上げしながら嬉しそうに周囲にアピールしたり、
本来の姿からあまりにもかけ離れた、
嘘としか思えない自慢話を繰り返し聞かせたり。
僕はそんな時、非常に反応に困って挙動不審になります。
話している人の周囲を見ると、皆さん貼り付けたような笑顔で
話が終わるのを待っている感があるんですけど、
本人だけが氣持ち良さそうにエンドレスリピートしているんですよね。
僕はかなり頑張っても、その大人の対応が出来ないで挙動不審らしいですし、
周囲の人の心の健康のためにも、そういう恥ずかしいオンステージは
止めて欲しいなぁと毎回思います。
謙虚さ。
これがあれば、あんな事故タイムは発生しにくそうですよね。
すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
まぁ、あれです。 バレバレのズラを普通に見せられるのもつらいものですが、 バレバレズラの状態で 「自分は昔っから髪が多くて!」 なんて聞かされると、もはや拷問の域に達しますでしょ。 全力で氣づかない振りをして、そこに無駄にエネルギー費やしているのに、 わざわざそこに話を振りますか!と。 それよりも、 「最近、どんどん髪が薄くなってきて、何か良い方法ないかなぁ。」とか 「頭皮マッサージを始めたよ~♪」 なんて頑張っている方には 「こんな情報を入手しました。」 などなど、協力したくなりませんこと? バレバレズラに数百万円(するらしいですわね。季節ごとに買ったりするそうで。)使って 「あれ。。ズラだよね。。」 とこそこそ陰で言われるのか。 それとも、自分の努力に周囲の協力も加わって、 自分の毛根を再び目覚めさせるのか。 更に、髪が生えてきた時には周囲の協力があってのことだったと 忘れずに感謝する。。 いやこれ、謙虚さがテーマで、決してズラ談義ではないのですが まぁそんな感じではないかしらね。 自分自身で自分を評価すること。 自分に簡単に高得点を与えないこと。 周囲への感謝を忘れないこと。 これが、強い向上心に繋がる謙虚さの答えだと思いますわ。
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