笑顔チャンスを削る人生の代償
開運の極意!裏話
笑顔チャンスを削る人生の代償
小さな幸せを大事にするかどうかに
まさかの「賛否両論」があるようです。
賛一択でしてよ!
幸せ燃費の悪い体質になったら、運氣転落に繋がりますわ。
小さな幸せっていう表現がありますでしょ。 例えば、欲しいお野菜が安く買えたとか、 良いタイミングで必要なものが手に入ったとか。
そもそもワタクシは、こういう現象をあんまり 「小さい」幸せとは考えていません。 日常にこういうものが溢れている日々が 幸せな人生なのであって、 そのひとつひとつを「小さい」かどうかを考えることに 意味を感じないからなんですのよ。
でもチマタには、こういうものを「小さい」と断じた上で 「その程度のことでいちいち喜ぶのって、 やっすいなぁ! そんな安い人生で良いの?」 と揶揄する人が存在するのだとか。。
うわ。。びっくり。。 お高い人生じゃないとダメっていう 消耗人生ルールをなぜ望んでいらっしゃるのか。。
よほどの大きいことじゃないと喜んではダメルールでしたら、 人生で笑顔になる回数にわざわざ制限をかけることになるのです。 おっしゃる「やっすい」を脱却するために、 笑顔チャンスを人生から大きく削ることになるのなら、 「やっすい」方が良いではないですか。 高くないといけない理由は何なのかしら?謎が過ぎる。
バッグはハイブランド。 宝飾品と呼んでいいのもハイブランド。 良いことと評価できるのは人生有数のもの。 ・・・・どんどん窮屈になっていきます。 それがその方の価値観の幸せと言うなら、 「頑張って」とは申しますけれどね。
目の前の信号がどんどん青になっていく。 欲しかったものが安く手に入る。 美味しいものをお裾分けされる。 知りたかった情報が入って来る。 日常にこういったことが普通に溢れていって 10年後を想像して頂きたいですわ。
「やっすいなぁ!」と、こういう日々の幸せで 「喜んでなんかやるもんか!」な生き方をしている人と、 この日々の幸せを大事にした人の10年後の立ち位置の違いです。 ほんと、想像してみて頂きたい。
何か良いことがあっても、 「でもさ~、もっと本当はこう。。」 と不足不満を抱える癖がついている人と、 「やった~!嬉しい♪」 と思う人との10年後ですわよ。 開運知識が無くても、その人生の差を想像すると ちょっとゾッとしませんこと?
そもそも、日々の幸せへの喜びを 「やっすいなぁ!」 って言う人を愛しいなと思えますか? 幸せにしてあげたいなぁと思えますか? 何かしてあげても、どうせ文句言われますのに。
運氣も同じことです。 ケチつける人のことは愛しませんし、 まっすぐに喜ぶ人のことは大好き。 運氣に愛されるかどうかの違いは大き過ぎますのよ。 運氣に愛されるというのは、人生最高の財産です。
何をするにも、運はあまりにも大事なもの。 成功者の談話で「運が良かった」という表現は、 ものすごく当たり前に出てきます。 大事な心構えでも「努力。そして運。」 という表現はよく見かけますでしょう?
その運に嫌われるかどうかが、 この日々の中での幸せに対する受け入れ姿勢にありますわ。 何が理由で「たっかい」を目指さなければいけないのか そんな価値観の方は一度よく考えてみられた方が良いのです。
考えれば考えるほど「やっすい」のがなぜダメなのか
分かりませんね。
欲しいものが安く手に入ったら嬉しいだけだと思いますけれどね。
わざわざお高くする必要は無いですから。
すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
ワタクシは人生の価値は「やっすいと思われないこと」よりも 「幸せと感じる時の多さ」にあると思いますわ。 日々の喜びに素直に反応したら、 運氣に舐められる!とでも思っていそうな 不思議な揶揄が「そんなことで喜ぶの、やっすいなぁ」 だと感じています。 幸せが、拾いきれないほど転がっている日常を送れる人の方が 人生の勝利者だと確信していましてよ。 そんな人には、常に運氣が味方しています。 「いざとなったら運が味方してくれる」 そう思いながら前進していける日々の中にも、 毎日新しく「あ!やった!」と思うことが溢れている。 こんな人生を送ること。 そしてそのレベルを上げていくことこそが開運生活でしてよ。