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歴史が見ている | 開運の極意!裏話 | 開運パワーストーンアクセサリー Magic Wands(マジックワンズ)

開運の極意!裏話

歴史が見ている

人の命を軽く考える感覚。 誰も見ていないのならと、悪いことも平氣で出来る感覚。 そんなに簡単に考えても良いものかしら? そんなわけはないのです。(←当たり前)
ワタクシは、生命を軽視するのをひとつの風潮と見て、

「ゲーム感覚で。。」「リセット出来るから勘違い」

と安易にくくるのは好きじゃないのです。 世の中の子供のどれだけが、現実とゲームの違いがわからず 簡単にリセット出来るなんて信じてると思うのかしら? 何でも言えばいいってもんじゃぁありません。(笑)
そもそも、将来の夢は?と聞かれて

「パイロット」「野球選手」「ケーキ屋さん」「お花屋さん」

などと華やかだったワタクシたちの子供時代と比較して、 今の子供たちは、

「サラリーマン」

と答えるというのは いろんなところで聞いてはいましたが。。 アクアのクラスでもダントツだったらしいですわ。 むしろ、悲鳴を上げながら現実と向き合っているかのような 痛々しささえあるのに、軽く見ているものです。今の子供たちを。 そんなにアホタレじゃありませんって。。( ̄▽ ̄;)
今も昔も、善悪の判断が緩い人、生命を軽く考える人は
一定の割合で存在していたことでしょう。

刺激の強い映像に慣らされて、感性が鈍っている現代人
という説明はそれなりに納得できる部分も
あるかもしれないのですが。。

死が今よりも身近だった昔の時代が
感性にとって理想的だったかどうかも疑問。

要するに、人生の中でどんな考えに出会うか。
これが人の感性を決定するとワタクシは思うのですわ☆
考えとの出会い。

それは教育という形で与えられるものかもしれないし、
それこそ映画やゲームから与えられるかもしれない。

本から、友人から、恩師から。。

何にしても、尊い考えと出会えた人は、
それだけで恵まれた人生のポイントゲットではないかしら。
さて、ワタクシは人の生命ということに関して
かなり面倒なくらいに深い思い入れを持ってしまうのですが。。

そして、子供たちも多分にその影響を受けてしまっているので
いろんな映画を簡単にストーリーだけ
追えない弊害も持っていますが、
ちょっと最近語り合ったことなので公開してみますわね☆
映画の端役扱いな役柄の方が亡くなるシーンで考えてしまうこと。

その方がお腹に宿った時の母親の喜び、周囲の喜び。

胎教や栄養を考え、その子が幸せに育つことを願いながら
月が満ちるのを待ち、生まれてからは、

もう首が据わった。笑った。寝返りをした。はいはいをした。
歩いた。しゃべった。

そんなことで一喜一憂。

どんな服を着せようか。どんな習い事にトライさせようか。
おもちゃは何が好きかしら?

とわくわくし。。
幼稚園の申込書のために並び、イベントを録画し、
入学式、卒業式。。と喜びを重ねて年齢を重ねて成人した人間。

中には、壮絶な生い立ちの方もいらっしゃいますが、
かなりの確率で親の愛を受けて育ってきた人が多いですわよね☆


そういう歴史を一瞬で絶たれてしまうことが、
そんなに軽いわけがない。
人が積み上げてきた人生の歴史には、
そこに関わってきた別の歴史、
想い、期待、夢もその数の分だけあるものです。


なので、軽く生命が扱われているシーンは
単に現実感の薄いものとして映りますわ。。
さて、そこから考えると、
人生は決して自分だけのものではない。。と考えてしまいますわ。


何か悪いことをする時、


「誰が見て無くても神様が見ているよ。  おてんとうさまが見ているよ。」

と脅されたりしますが。。 ワタクシは、歴史が見ているのだと思います。
それが魂を汚す行為かどうかを、
天が見ていて地が見ていて、自分を育んだ歴史が見ている。

自分という存在に祝福を下さった方々が、
その存在に仇をなすような行いを喜ぶだろうか?と。

言わなきゃバレませんか?
いえいえ。自分の中のコアの部分が汚れていく手ごたえは
確実にあるはず。
土台がシロアリに荒らされた見せ掛けだけの建物に
大事な人を住まわせられるかしら?

そんなものを渡すのは、大事な人への裏切り。
じゃぁそれも自分の中の汚れを増やすだけ。
汚れがすすむと、隠し切れないほどに表面に影響が出るもの。
時に、臭いまで伴うこともあります。

いつまでも上辺だけで何とかなるもんじゃありません。


他人につけられた汚れはあっさり取れますわ。
それが運氣デトックスですからね♪

でも自分で選んだ汚れの道でつけたものは、なかなか。。
これを一般には「業」と呼んでいます。
時に、子孫だの来世だのに持ち越したりする程
キツい汚れになることを考えると。。

自分に関わった歴史を裏切っているかどうかは
あらゆる場面で自問自答したいものですわね☆
人は時に過ちもあります。

その不完全さが人間だと思っています。

でも「不完全」を開き直るのは人にあらず。

感性は、あらゆるところで自分の格を作るものです。

すべては繋がっていて、 偶然はないのです!

は正当化という、自分に対する強烈な嘘攻撃手段を 持っていますのでね。 また、善悪判断が曖昧な感性で生きている環境にある方は もう残念としか言いようが無いのですが。。

何をするにも歴史は見ているものです。

歴史を裏切るのは、自分への徹底した裏切り。 そんな風に自分を裏切る行為は、真の意味で自分を蔑ろにしているわけですが、 自分自身がぞんざいに扱う存在が、果たして魅力的かしら?と思います。 ある、英語が徹底的に苦手な知人が周囲に

「英検準一級を持っている」

と嘘をついて、 英検3級を持っている方を小バカにしていたことがあったのですが、 聞いたワタクシの方が逃げ出したくなる程恥ずかしい想いでしたわ。 それは、正直に言うなら中一レベルの英語もしゃべれないという事実への 強烈なコンプレックスがなせるワザだったのかもしれませんが、 それで正当化できることではありませんわね。 何より、英語が苦手というその人のパーソナリティを 根っこから否定する最も強い自己否定だと思いますもの。 こういうことは、一定のレベルを超えると 周囲の羞恥心が刺激されるのだということを知った体験でしたわ。

買い物をする時に選びたいのは、値段が一緒なら ワゴンの上に投げ出されている雑な扱いを受けているものよりも、 大事にケースに入れられているものではないですか? 生命に関わる歴史が誰も等しく重いのなら、自分を大事に生きている人こそが 魅力的だとワタクシは思います。 自分を大事にしているというのは、決して利己的という意味ではないことは 言わずもがなですが。(笑)

生と向き合い、日々の生活の中での喜びに敏感で そういう氣の流れに感謝する心が次の喜びを呼び。。 季節の移り変わりや、先人が生み出した文化や風習を楽しみ、 欲望ではなく魂の願いに耳を傾ける人が、魅力的でないわけがない。 そう思いませんこと?

タクシは、人生で多少つまづいた人を見ても

「終わった」

なんて傲慢な評価はしません。 思いもしませんわ。 でも、目先の利益のために、あらゆる嘘がつけたり。。 そういう平氣で歴史を裏切る行為を選択している方の将来に関しては、 残念としか言いようがないですわね。

タクシたちは、歴史が見ていることを忘れずに 自分のコアを守って生きていきましょう♪