感謝が運氣を育てる秘密
開運の極意!裏話
感謝が運氣を育てる秘密
感謝が大事というのは、いろんなところで耳にされると思います。
本当に大事ですのよ。
でも、何か「説教くさい」という感覚が素直に受け入れることを
拒否する内容でもあったりして。
今回は、そんな不幸の鎧をはがす一助になれば。。
そもそも、感謝って そんなにエネルギーを使うことでもありません。 逆にエネルギーを生む言葉なんですのよ。
けれど、
「説教くさい!」
→「説教くさいことはエネルギーを削る!」
という脊椎反射らしきものが、
感謝の想いを阻んでいることもありますわ。
けれど、人生が「ありがとう」で溢れているほど 幸せなことって無いと思いませんか? 「ありがとう」は「ありがとう」を呼びます。
風水は、例えば何かの良いことが連れてくる別の良いことが 何倍にも増えていくように措置を取っていく方法を ワタクシは推奨しています。 アイテムたちに織り込んでいる措置も、そういうものです。
風水措置を取ると、最小の努力で大きな成果や、 最大の恩恵エネルギーを手に入れていく環境に なっていくわけなんですのよ。 でもね、その風水効果を更に大きく育てるのが 感謝スイッチを入れやすくすること。
「感謝の心を忘れるな」ということは 何度も繰り返し耳にするアドバイスだと思いますわ。 さて、意外なことを言ってしまうかもしれませんが 「日常的に毎秒毎秒感謝の想いを脳内で言葉にしながら生きるのは 現実的ではありません。」
それを自分に義務化してしまうと、 本当の感謝から遠ざかってしまうリスクさえあるのです。 とは言え、感謝はものすっごく大事。 本当に大事。 現実的に感謝の想いを守っていくにはどうしたら良いのか。
ワタクシは「感謝のプライベートイベント」を提案しますわ。 最初は週に一日、曜日と時間を決めるなんていうのも アリかもしれませんが、一日のこの時!みたいに決めると 毎日ごく自然に出来ることだと思いますわよ。
狙うのは、一人で何も考える必要の無い時間。 歯を磨いている時、ひとりで食事している時、 掃除している時、食材の買い物をしている時、 散歩している時、乗り物で移動中の時、 信号が変わるのを待っている時。。
誰かと一緒にいる時でしたら、 深く自分の中の感謝を掘り出すより その方とのコミュニケーションを大事にした方が良いので、 とにかく自分ひとりの時を狙います。
ワタクシの場合。。 朝起きる。日の出がキレイ。ありがたい! 朝起きる。雨が降っている。緑が育つ!ありがたい! ごはんが美味しい。お水が美味しい。 部屋の中がきれい。お花がきれい。 猫がかわいい。魚がかわいい。 外の鳥の声が心地良い。 着ていく服が心地良い。 朝、玄関を出るまでの時間にも、 「ありがとう!」のオンパレードですわね。
「野菜が美味しい。」 「作ってくれた人は、作業も大変だけどたくさん研究もされたでしょうね。」 「運んでくれた人も売ってくれた人もいる。」 全部、ありがたいことです。
これは、 「今、ワタクシが目にしているものは快?」 「今、ワタクシが耳にしているものは快?」 「今、ワタクシが手にしているものは快?」 「今、ワタクシが口にしているものは快?」 の確認作業でもありますのよ。 快が多ければ、 開運環境が崩れていないということですから。
そして「快」の数だけ「ありがたいこと!」という想いは セットになってついてきます。 今この瞬間にワタクシに「快」を贈ってくれたものは ワタクシにとっての「ありがたい存在」なんですのよ。
外に出れば、「快」も「不快」も発生します。 「不快」は、「学びになった」とか 「次に生かそう」とか「反面教師」とか。。 そう思えたらお手本かもしれませんが、 ワタクシはそこまで人間出来ていませんので、 かなりの部分で不快なものは不快です。笑
現時点で、不快は不快としか思えないことは 無理やり快のカテゴリーに入れません。 その分、快のありがたみも際立っております。 「あなた(快のこと)ってば、なんって良い子なの!」 という感覚で、しみじみ快をありがたいと感じますのよ。 でも、そんなワタクシでさえも一部の不快なら 快化できる状態ではあります。
一瞬「ムッ」としても、次の瞬間に 「あぁでもこれは。。こう考えられますし 自分でもその考えに納得出来ますわ♪」 と感じた時に、不快の快化が発生したと思っていましてよ。
無理なく快化出来るのであれば、 人生快しか無いという最高環境になる可能性は高い♪ ただし、ワタクシは人は怒りの感情も 決して忘れてはいけないものだと思っております。 本当に怒るべい時に怒りを持てることは忘れず、 普段は手放しているだけという状態が理想ではないかしらね。
そして、無理なく快化出来なければ意味は無いですし、 快化に義務感が出てしまうと、今度は純粋な快に対しても 斜めに構えてしまって、他人の快まで否定するという 悪徳積みに繋がりかねません。
また、呪文化してもダメですわね。 これもマイナスな方に突き進みかねません。 「はいはい。感謝感謝。」 「ありがたいありがたい。」 「生きとし生けるもの全てにありがとう!」 定型文にしてしまうと、 自分の心の奥から湧き出る純度100%の感謝の氣持ちが どんどん減っていきかねない呪いです。
だからこそ、ひとりのボ~っとしがちな時間を狙って 感謝のプライベートイベントタイムにしてしまうことが 自分の感謝のスイッチを守る良い手段かと思うのです。 やってもらって当たり前という感覚が増えれば増えるほど、 人は劣化して下のフロア落ちして運も下がりますからね。
人は何でも慣れを生じさせるので、
油断すると「当たり前」感覚に支配されてしまいますね。
自分がやるのは当たり前。
人がやってくれるのは全てありがたいこと。
この感覚をリフレッシュし続ける必要がありますよね。
すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
「実るほど頭が下がる稲穂かな」 そんな言葉がありますわね。 ワタクシは随分長いこと、「偉そうにするうちは実っていないのだ」 という忠告のようなものと教わってきた氣がしますのよ。 でも、最近そうじゃないのかもと思っておりますわ。 実るほどに、自分が一人でこの実りを実現させたわけじゃないことを 痛感する経験が増えて、頭を下げずにいられなくなるのではないのかと。 世の中の、いわゆる一代で成功した経営者の発言の中に共通するのは 「運を味方につけろ」「感謝を大事にしろ」です。 この点でも、感謝と運の絆の強さを感じますが、 一人の人生という割と限られた時間の中で、 大きく成功する人というのは、行動力の見事さに加えて この2つは必須なのではないかしら。 そして、感謝が自分の中に増えていくのは「快」であり、 それは「幸せ」であり、運氣の方向性を整えるものだと ワタクシは考えます。 石たちは、整った方向性がある環境では よりいっそう働いてくれるという実感もありますわ。 よろしければ、是非感謝のプライベートイベントを 習慣化してみて下さいね!