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意味ある謝罪
開運の極意!裏話

意味ある謝罪

いろんな謝罪の形を見てきて思うことは、 何のために謝るのかを考えて謝るべきでは ということ。 何かおかしな謝罪を見聞きする機会があると とても残念ですわ。 何かやらかしても、きちんとした謝罪が出来ないのは 論外の悪徳になります。
アメリカの初代大統領、ジョージ・ワシントンの
有名な桜の木エピソードがありますわね。

プレゼントされた斧の切れ味を試したくなって
父親が大事にしていた桜の木を切り倒したものの、
父親に正直に申告した結果、叱られるどころか褒められた。
というお話。
ワシントンの死後に適当に伝記に追加された話のようですが、

「正直者は正義である」

というテーマが教育者に好まれやすいので
子どもの頃にやたらに聞かされませんでしたか?

ワタクシはまぁ、あまり好きな話じゃありません。
この桜の木エピソードを聞いた子ども(とは限りませんが)は
大体以下の反応パターンに分かれるのではないかしら。


 ・正直って大事なんだな。正直に生きよう。
 ・正直に言いさえすれば、いざとなったら保身出来るな。
 ・正直が絶対正義なら、法律いらん。(←幼少期のワタクシ)
 ・切られた桜の木はどうなるの。(←幼少期のワタクシ)
幼少期のワタクシの意見は鼻先であしらわれるか、
「じゃぁキミは嘘つきな人生を送るつもりなんだな!」
なんて逆切れ大人を発生させたりしまして。
自分が幼いから氣づいてないことがあるのかもしれず、
皆のように「正直に生きよう!」と決意するか、
表でそう発言しておいて「保身に使えるな」と画策するか
どちらかが正解なのかしらと悩んでいたものです。

幼稚園から小学校低学年にかけてのあの時期に
なんと無駄な悩みを抱えたことか。

今のワタクシが言って差し上げたい。
「全然間違ってないと思いますわよ。」
当時の大人にぶつけた疑問の数々に

「なぜ子どもへのプレゼントが斧?」

「なぜよりによって桜を切った話で
 日本人がありがたがるの?」

「この話が発展すれば、時代劇なんかで、
 殿とかそのバカ息子が刀の切れ味を試したくて
 町民を辻斬りということにも繋がっていかないのか。
 今はたまたま桜なだけで。」
 
「正直に言えば褒められるなら、
 父親と喧嘩する度に父親が大事にしているものを
 破壊しては告白して褒められることになるけれど?」
 
「もっとひどいことを感情のままに行動して、
 それでも正直に告白すれば褒められることになるけれど?」

「刑務所に入っている人たちは、
 ほとんどが自分の罪を認めているのだから
 正直者として皆で褒めたらいいって話になるじゃないですか。」

こんなことを並べたからイヤがられたのだと思われます。。
でもまぁ、勧善懲悪レベルのシンプルさが分かりやすい
「正直者はえらい!」エピソードは、
確実に

「正直に言って謝れば保身になる」

思考の持ち主を大量生産したことでしょう。
やらかしたことの軽重はありますわよ。

でも、ある程度以上に他人に迷惑をかけた時に
違和感しかない対応をする人が多過ぎるように
感じますわ。
A.「だから謝ってるじゃないですか!」

B.「いつかあなたもやるかもしれないし、お互い様でしょ。」

C.「すみません!でも、事情知らん人間がやったことですから。。」

D.「ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!はいはいっ!」(←怒鳴る)

E.「なんかよく分からないけど、とりあえずごめん。」

F.「てへ♪」(←とにかく言動が軽い)
これ、全部に共通しているのは

「ごめんなさいを言えば許されて当たり前」

の考えです。
謝罪は自分が確実に許されるための
お約束パフォーマンスに過ぎないのでね。

「こちらは謝ってるのに、許しリアクションが遅い!と考える」
「自分が何したか理解してないけど、ごめんなさいは言える。」
「事情知らんとか子どもだとか経験浅いとか、
 やらかした人間の事情を臆面もなく許し獲得の理由に出来る。」
「今まで相手に非はないけど、未来の非の可能性も踏まえて
 ものが言える。だってパフォーマンスだから。」

ってことになるのでしょう。
謝罪というのは、やらかした側が迷惑をかけた相手の心に
説明責任とけじめの精神で納得を届けることに力を尽くすこと。

ということは、自分のやったことが何で
どんな迷惑をかけてどう影響してしまったのかを
考えもせずに発する言葉が謝罪になるわけがない。
許しは、その本当の謝罪の結果、
相手が施してくれるかもしれないもの。

それを最初からあてにした行いは
「施しを乞う者」になってしまいますわね。
とにかく謝罪の場を早く作ろうとする人がいます。

謝罪は早い方が良いのは当然で、
「効果的な謝罪は何か考えた上で。。」
なんてことに時間をかける人はそれも謝罪でも何でも無く
論外と思うのですけれど。。

「相手の方に何をしたか理解出来ていますか?」

という質問に、周囲の認識との答え合わせが上手くいく人は
案外少ないかもしれません。
考えるべきは「どうやって許してもらおうか」ではないのに、
そこばかり考えていると、自分の行動に客観性を欠く一方に
なる氣がしますのよ。

被害に遭った人は、迷惑かけられた上に
「許して許して!」と迫って来る加害者の対応までさせられる。

そんな謝罪が成立して良いわけない。
また、やらかしたことを自分で背負っていく人は、
相手の態度が軟化して前と同じように接してくれようとしていても
自分が背負っているものの重さを忘れないものです。

その重さは、何かで自分が相手を助けたり役に立ったりするまで
感じ続けるものだと思いますのよ。
相手の態度が軟化した途端に「良かった♪終わった!」
という言動が端々に出る人というのは、
それまでどんなに重厚な謝罪パフォーマンスをしていても

「やっぱりあれはパフォーマンスだったね。」

ということになりがち。

自分でやらかしたことを背負う振りして
背負っていないのですから
パフォーマンスにしかならないのは当たり前なんですが。
考える力を鍛えましょう。
それは、そもそもの「謝罪が必要なシチュエーション」を
回避するのに役立ちますわ。

そしてやらかしてしまったなら、許してもらうためではなく
迷惑をかけた相手を少しでも救うために何が言えて
何が出来るのかを全力で考えましょう。

ワタクシは、それが謝罪だと思いますわ。
正直に言って謝れば許してもらえる。
そんな法律が出来たら怖過ぎますね。

謝罪は、誰かを怒らせている自分を
安全地帯に置くための手段ではないですからね。


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
の木エピソード、ワタクシはね
桜の木を切ったことはまず叱るべきだと思ったんですのよ。

桜の木が何をした?
切られた桜は再生するとでもいうのかしら?


よく切れる刃物を手に入れた子どもが、
「どのくらい切れるんだろう?」
という好奇心が何に向けられるのか。

最初は物言わない罪の無い桜の木。
じゃ、その次は?


られた桜は、単なる好奇心の犠牲になったこと。
とんだ理不尽の中で生命を落とすかもしれないこと。

では今、桜を守るために何が出来るのかを
考えるように言うこと。

これがあってから、その次に

「でも正直に言ったのはえらかった。」

というのが来るのが良いバランスなのではないかと
ワタクシは思いましたのよ。


た、正直至上になるような価値観も問題。

「だって本当のことだもん」

を旗印に、相手がどんなに傷つくことでも
むしろ言わない方が良いようなことでも
「正直は葵の印籠!頭が高い!」
とばかりに暴力的に相手にぶつける人もいますからね。

何事もバランスですわね。


回のテーマは謝罪です。

謝ることは、許してもらう前提のパフォーマンスという行動は
悪徳貯金になってしまいます。

そうなると、謝罪の最中にも
「いかに自分の行動が仕方ないものだったのか」
「避けられない事情があったのか」
なんて要素がどんどん加わりますし、
相手の許しは、当人が望む許しとはかけ離れていることが
ほとんどということにもなっていきますわ。


と面倒くさいので、加害者への信頼感なんか
完全に崩壊させたままで表面的ににこやかにする対応
というものを大人は取ります。

そんな対応を引き出す度に、運氣は落ちていくのです。

はちなべさんより
こんにちは!!フェムト様。

先週と今週の木の氣毒・呪いと、意味ある謝罪は
ちょっと自意識過剰かなと思いつつも、
もしかしたら私に向けて下さったものなのかもと思い、
そうでなくても「あっ。。」となったので
連絡させてもらう事にしました。

私が患者の石さん達を送る際に、もしかしたら待っていて下さって、
まだ来ないな到着しないなと心配して下さっていて、
中を開けたら意味のわからないメモ。。
となったのかもしれないなと思いました。

なんだか自分に呆れ、恥ずかしく思いました。

自分の書いたものを破棄出来るなら
今すぐにでも取りに行って破棄したいぐらいですが
氣付きになったと思い、この恥ずかしさを
忘れないようにしなくてはと思いました。

それと同時に自分には昔から、すぐに、
すみませんと言ってしまう口癖があるかもしれないなと思いました。
無意識ですが色々なものに無意味な謝罪があるかもしれません。

考えてみると、確かにそこに本当に申し訳ないなと
強く思う氣持ちがあるような感じもしません。

相手に何かを言わせない為にすみませんって
言っておこうと思っているんですかね。
無意識なので厄介ですね。

自分の事を何かの占いで見たら
利己主義の人って出てたと思うので、
自分の事ばかり考えているんですかね。。

その利己主義については恥ずかしながら
まだよくわかってないのですが、考えてみようと思いました。

なかなか良い年齢で今回の事は恥ずかしさ極まりないですが、
しっかり受け止め、もう少し自分なりに掘り下げて
考えたいなと思いました。

って、まだ全然わかってないかもしれないですが!!

石さん達の入院は新しい物を作るより大変との事ですよね。
お手間おかけします。
またみんなに会えるのをゆっくり待ちたいなと思っています。

読んでくださってありがとうございました。

よろしくお願いします。
基本的にこういう再登場はしないようにしようと思っているのですが
これはもう出て来なければ。。

はちなべさん。違いますわよ!
ワタクシ、そんなあてつけがましいこと致しません。

そもそもはちなべさんの今回なさったこと、
呪いにも無意味謝罪でも無いじゃないですか。(笑)
意味の分からないメモだなんで思っていませんわよ~。

はちなべさんの日常はワタクシは存じませんが、
もしも思うところがあって何か改善ポイントが見つかったなら、
この裏話ははちなべさんの肥しになりましたわね。

ワタクシね、裏話のテーマは基本的に
時事ニュースなどを見ていて見つけます。
テーマが決まると、人生を遡って
皆さまに伝わりやすいエピソードを探します。

木の氣のものというのは交流のエネルギーなので、
ワタクシと皆さま、Magic Wandsと皆さまの間にも
発生するものですわ。

なので、「私のこと?」と身近に感じやすいテーマに
特になりやすいかもしれませんわね。
謝罪は日常生活で頻繁に発生しますし、
呪いも油断すると発生しかねないものかも
と思いました。

今回この裏話を完成させてワタクシのパソコンの中で
保存したその2~3日後に、まさにこの
悪い謝罪の典型として挙げている態度そのままの謝罪に
遭遇しました。

びっくりです。

その人には、その謝罪のまずさを指摘した上で、
更にこの裏話が近々公開の予定であることも伝え、

「決してあてつけではない」

と説明しましたのよ。

そのくらい、典型的悪い謝罪例でした。
悪い例図鑑を作ったら、
大きなスペースを取って掲載すべき例。

そのように、こういう身近なテーマは身近だからこそ
時に自分の言動に思い当ったりすることも
発生し得ます。


その時に治すべきところがあるなと考えて修正するなら
また開運生活が進みますわ。

逆に「耳が痛い!苦しい!しんどい!見なかったことにしよう!」
「フェムトはそんなことが言えるほどエライわけ?!」
みたいな反応をなさるなら、開運の一歩が進まないだけの話です。

ワタクシね、自分がエライから言ってるわけではないですからね。
そういう開運ルールだとお伝えしているけれど、
開運ルールをワタクシが決めてるわけじゃない。

決められるなら、自分に都合良くゆる~~くしますわよ。

ワタクシも皆さまと同じ、開運求道者に過ぎません。
皆さまより知識があるから、それをお伝えしていますけれどね。
だから氣をつけなきゃいけないことを
自分にも言い聞かせる必要があるのです。


忘れもしない小学2年生の時、親に渡すべき学校のプリントを
渡し忘れてしまっていまして、父に注意された時に
一番に口をついて出たのは、いかに仕方ない事情があったか。

要するに「わたし、悪くない。」主張でした。

渡すべきプリントを渡し損なって、提出が間に合うかどうか
という事態にあって、そのトラブルをどう回収するかではなく、
まっさきに保身に走ったことを、散々父に叱られましたのよ。
それがいかに無意味で時間の無駄で醜いことかを。

叩かれたわけではありません。

ただ、親から徹底的に軽蔑の目を向けられた小学2年生は、
保身の醜さを心の痛みと同時に自分に叩き込む経験を得たのです。

腹をくくる大切さ。
責任を背負う大切さ。
その範疇にある謝罪。

これは再認識すべきことなのかもしれません。

日本人は割と「ごめんなさいを言っておけば平和」感覚があるようです。
海外はそうじゃないですからね。

だからこそ、近隣諸国から歴史上のありもしないことで責められて
日本が「まぁ怒ってるから謝るよ。ごめんね。」態度を取ったことで
鬼の首を取ったように「言質取った!責任取れ!」と攻撃が激しくなった
その現実から学ぶべきことは多いと思いますわよ。

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