実るほど頭を垂れる稲穂かな
開運の極意!裏話
実るほど頭を垂れる稲穂かな
「小さい人ですわねぇ。」と感じる人と、
「素晴らしい方。。」と感動してしまった人。
ちょうど立て続けに見かけてしまう経験をしましたのよ。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
この言葉って、主に
「あんなに偉くなっても、頭を下げる姿勢が素晴らしい」
みたいに使われますわよね。
ワタクシはこれ、
ちょっと違う方向が見えてきた氣がしていますわ。
Aさんはその時、出来るだけたくさんの人に あることをお願いしなければいけない立場でした。 人数がある程度集まっている場所で、Aさんは皆に促されて ちょこんと頭を下げた後に、そっぽ向いてこう言いました。 「おねぁいしゃ~~す。」 お願いを聞いてくれた人とは、あまり目も合わさずに 「あざ~~す~」 ・・・・これが許されるのは、 せいぜい中学生までだと思うんですけどね。( ̄▽ ̄;)
その後、仲介者へのお礼も、
お願いを聞いてくれた人への挨拶も特には無かったと
聞いておりまして、それだけでも論外だと感じていたのですが。。
後にワタクシが直接耳にしたのは、この方のこういう言葉。
「別に、あれで特に恩恵があるってわけでも無いんだよな。」
・・・・じゃぁ今後はお願いなんかしないことです。
( ̄▽ ̄;)
一方で、こんな方。 フラメンコの高橋京子先生の憧れの彫刻家の 中村晋也さんという方がいらっしゃいます。 京子先生にとって、雲の上な方だったこの彫刻家さんと 思わぬご縁が出来たとのことで、資料をお借りした時に その人となりについてお話を伺いました。
2014年、88歳になられる彫刻界の重鎮。 勲三等旭日中綬章受章者。 その彫刻に対する姿勢の真剣さ、細やかさ、 もうそういうのを語っていくとキリがない 素晴らしい方なのですが。 京子先生が展覧会か何かに出かけた時に、 ちょうど車に乗った中村晋也さんが 通りかかったのだそうです。
車の中から会釈なさって、そのまま通り過ぎる。。 と思いきや、中村晋也さんは車を停めさせて、 わざわざドアを開けて降りてこられ、 そして京子先生の手を両手で包み込むように握って 頭を下げられたそうです。 「遠いところからわざわざ来て下さって。 本当にありがとう。 よぉ来て下さったなぁ。 ありがとう。」
ワタクシね、このエピソードで思ったのです。 片や、頭を下げたら何かを失うと考えられている方。 頭を下げるのはかっこ悪い。 何かを頼むのも、お礼を伝えるにも、 とにかく頭を下げるのは「負け」。 という感覚なのでしょう。
一方の中村晋也さんは、 頭を下げることで受けてきた恩恵の大きさを よくご存知な方。 感謝すべき相手に頭を下げることの、 そうあるべき美しさを 深く理解されておられるのではないかしら。 ワタクシはそう感じました。
ワタクシ、仕事柄いろんな方とお会いします。 著名人も少なくありません。 大きさを感じさせる方というのは、 皆さん目線が穏やかで、まとっている空氣が違います。 これは財産の有無に関係無く。
そして、これも共通しているのですが、
誰かが
「腰が低くて素晴らしい」とか
「どんな立場になられても、頭を下げるんですねぇ」
なんて言おうものなら、不思議そうな顔をされるのです。
「特に腰を低くしているつもりは無いよ?」
「頭を下げるのは当たり前でしょう。
お世話になっているのだから。」
お世話になっているという意識。
「おかげさまで。」「ありがたいこと。」という感覚。
これが心にすっと根を下ろしている方というのは、
頭を下げることに特に意識なんか
持ってはいないのではないかしら。
「ここは頭下げなければ!」なんてわざわざ考えずに
心の赴くままに取る態度が、その美しさに通じている。
ワタクシはそんな氣がしています。
お願いすべき時も、お礼を伝える時も、
頭を下げられない人というのは、よほど余裕が無いですかね。
頭を下げることで何かを奪われるとか
失うとかの恐怖心を持つのは、
奪われたり失ったりすることで後が無くなるくらいに
持っているものが少ないからなんじゃないかと
思うからです。
僕は頭を下げられる人間でありたいですね。
すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
以前お会いした、それはそれは美しい方が こうおっしゃっていたのを思い出します。 「いくつになっても、どんな立場になっても、 誰かに助けられてお世話になって生きているものです。」 こういう言葉が、普段とっさにお礼を言う時なんか 意識にも上がらずに自然に頭を下げるためのスイッチの役を 果たしているのでしょう。 どんなに自分を大きく見せようと画策したところで、 心にこの感覚が根付いてなかったら ふとした時に隠していた本質が出てしまうものですわね。 例えば、今回の残念な方のエピソードですが、 仮に大した恩恵に繋がらなかったとしても。。ですわよ。 自分のために労をとって下さった方々がいる。 その方々は、ただ自分のために動いて下さったということ。 このことへの感謝無くして、どんな成長があり得ようか とワタクシは思います。 今回のことで、しみじみ思いますが、 あらゆるところに学びの種はあるものです。 良い糧にしていきたいですわ♪
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