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子どもの自主性
開運の極意!裏話

子どもの自主性

割と耳にする機会があるのでは。 「子どもの自主性に任せています。」 それ、本当に考えて出した結論ですか?
人って、人生をかけて精進していくべき存在だと思いますのよ。


で、人は自分に甘いもので、楽な方に流される傾向が
強いではないですか?
大人も大概です。


じゃ、子どもはもっと楽な方に流されませんこと?
人生経験が無い分、長期的な見方をする能力は発展途上。


ストレートに楽な方を選択する可能性はとても高いと
思われませんか?
何かを始めるということに関して、好奇心から積極的に向かう子と
消極的で避ける子といるかと思いますが。


始めた何かのより良い結果・成果のため、
練習・訓練・勉強をしていくことを

「子どもの自主性に任せた」

場合において、世の中の子どもは一体どのくらいの割合が
自ら自分を鍛える道を選ぶかしら。
練習・訓練・勉強に楽しみを見出すことが出来た子以外は
おそらくはサボる方を選ぶと考えますわよ。


身の回りには、ゲームや漫画やお友だちとのコミュニケーションやら
誘惑が多いことでもありますし。
なので、大人が

「子どもの自主性に任せている」

と公言するのは、物分かりの良い大人の演出以外の
何の目的があるのか疑問に感じますわ。
また、公言しないまでも

「子どもの自主性に任せる」

結論を出すということは、
その件に関して大人サイドは

「どんな成果になるかどころか、
 継続するかしないかすら関心が無い。」

ということに、なりはしませんか?
加えて、この「子どもの自主性に任せている」は
リアルタイムに発生していくだろう数々の問題に
大人が頭を使わなくて良い状況を作ってくれそうです。
自主性が育っていない相手に、自主性を求めて
その行動に関して責任を負わせるのは
アンフェアなのではないかしら。


そしてアンフェアは、運氣落とし行為です。
自主性が、大人ですら定期的にお尻を叩いてもらって
やっと発動したりすることもあるものだということを
忘れちゃいけないと思いませんこと?
子どもがやるべきことをやらない時に

「だって本人がやらないのは本人の問題だし。」
「本人がやりたがらないんだから。」

と放置するのは、こうした理由から
一種残酷とも言えるのではないかしら。
何せ、育っていない能力つまり無い能力に任せる
と言っているわけですから。


やるべきことをやるように仕向けるとか、
せめてなぜやるべきなのか考えさせるとか、
そういうことが周囲の大人の義務なんじゃないのかしらね。
ワタクシたち大人は、スキルアップのための勉強などは
将来を見据えて取り組む判断をします。


でも、小学生や未就学児にそれを求めますか?
と聞きたくなる場面、今までに割と遭遇してきました。
子どもたちの未熟と分かり切っている能力に
「任せる」という発言で、

●何も特に積極的にサポートしていない大人サイドの保身。

●物分かりの良い大人演出。

などの効果を狙うのだとしたら、悪徳と言わざるを得ません。
職場などで、自分のスキルが明らかに不足していて
実現が現実的じゃないのを知っている上司が

「部下に任せている」

と公言していたらどんな氣分になるのか。
まして、そんなシチュエーションを想像してみてと言ったところで
想像すらできないだろう子どもたちに「任せる」のは
もっと非現実的要素をはらむと思いましてよ。
自主性が育っていないだろう相手の「自主性に任せる」は、
持っていない能力に頼っているという意味なんですね。


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
主性のベースにあるのは向上心だと思いますのよ。
その向上心は、心の成長とともに芽生えてくるのではないかしら。


誰かに褒められた成功体験によるものだったり、
成長した自分に会ってみたいという願望だったり、
将来に対する不安・恐怖だったり。



ういう経験を積むには、時間が足りていない年齢の子たちに、
大人目線で向上心や自主性を求めるのは無理があると
ワタクシは思います。


そうと知っていて「任せている」のは、条件次第では悪徳になる。
そんなお話でした。



どものうちからやっておけば、大人になった時に楽だった
というようなことは、世の中にはたくさんありますわ。

外国語、音感、リズム感、体の柔軟性などなど、
「幼少期からやっておけば」と後悔することや
逆に「幼少期にやらされていたお陰で♪」と財産化することもあるわけです。


本的に「押しつけは良くない」とされているから
ということもあるのかもしれませんが、押し付けなきゃいけない時もある
と知っていないと、おかしな判断やおかしな発言やおかしな自己演出に
繋がる時も出てくると思いましてよ。


そもそも、義務教育は「教育の良質な押し付けシステム」なのですから。
子どもの自主性に任せて登校するかどうかが選べるのではなく「義務」ですから。


義務教育は、経済事情その他から親が子どもに教育を受けさせないという事態を
避けるという目的が大前提としてあるとは思います。

と同時に、「義務教育対象年齢の子どもたちの自主性」に任せていたら
国の教育レベルの低下になるという考えもあったと考えますわ。


どもの教育環境は周囲の大人次第でしょう。

子どもたちに自主性があったとしても、
周囲の大人が作った教育環境が許す範囲内のこと。


こういう状態ですのに、大人が「子どもの自主性に任せている」と言うのは
やはりズレた話ですわね。

大人がずるい思惑で、その魔法の呪文を唱えて
子どもの可能性の芽を摘めば悪徳。

可能性の芽を育てれば陰徳です。
後者を選びたいものです。

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