親との悪関係克服の方法
フェムトの風水相談
親との悪関係克服の方法
フェムトの回答
な~んにも失礼なことはありません。 家族と。。というより母と上手くいっていませんでしたね。 もう散々でした。( ̄▽ ̄;) 交流が復活して、10年ほどのブランクのためか、 最初の頃はおとなしかったのですが、まぁやはりいろいろ。。 交流を絶っていた期間には、子どもたちからすれば 「良いおばあちゃんじゃないか。 きっと良いお母さんだったはずだから、 何か誤解があるに違いない。」 と考えていたようですが、彼らも大人になって、 母とのやり取りを直接見て、ワタクシ以上に腹を立てたり。(笑) ワタクシの残念エピソードはものすっごく覚えているのに、 挽回や成功エピソードは一切記憶にないあたり。。 一例を挙げましょう。 ワタクシ、幼稚園時代にIQテストを受けたことがあります。 これ、いつものお遊びだと思ってしまい、 真面目に受けなかったのです。 結果は「健常児と見なすには著しく問題のある点数」と 幼稚園側から言われてしまう結果に。 更にその時、IQテスト結果順に幼稚園の席順が変えられ、 またよりによってそんな時に授業参観があったりしたのでした。 普通の公立幼稚園のお話です。 IQテスト結果の席順なんて、今ならあり得ないでしょうね。 母からすれば、大恥をかかされた経験。 ワタクシは凄まじく叱られた(という表現に留めます)ので、 「あれは真面目に取り組むべきもの」 と学びました。 次に、小学校でIQテストを受ける機会がありました。 幼稚園時代の二の舞はごめんです。 遊ばずにやりました。 結果は「開校以来の高得点」。 (中島らもさんと一点差のようです☆) 幼稚園時代も母が呼び出されましたが、 小学生時代も呼び出されていました。 今度は嬉しい呼び出しだったようで、母は顔を紅潮されて興奮して ワタクシに結果報告をしていたのを、非常に鮮明に覚えています。 ワタクシはと言えば、嬉しいというより安堵感の方が 強かったですわ。 けれど現在、母の記憶の中には ワタクシの幼稚園時代のIQテストの結果はあっても 小学生時代のIQテストの結果はありません。 ワタクシに「歌の才能がある!」として、徹底的に鍛え、 手術で半年入院した時には毎週、遠い病院までお見舞いに 来て下さったイタリア帰りの名物音楽の先生にいたっては、 存在ごと記憶から抜けています。 とてもハンサムな先生でしたし、 歌声も震えるほど美しい方だったために、 学校でソロを歌ったりされる機会があると、 カメラや録音機持参な父兄たちと一緒に騒いでいたというのに! 「わざとですの?」 なレベルで忘れています。 とにかく、ワタクシの良い評価経験や、それに繋がることは 徹底して忘れています。 逆に残念体験は明確どころか、捏造までします。 子どもたちはワタクシが、 「最初の大学受験で東京大学を受けて失敗し、 一年浪人した。」 との説明を受けたそうですから。 実際はワタクシは浪人経験がありません。 東京大学と京都大学は、母の前で親しい友人と一緒に 進路を考えていた時に、 「理系ならともかく、文系は左翼思想が激しいらしいよ」 「お互い、理系選択しておけば良かったね」 という会話があったのみ。セリフもこのまんま。 それ以外で進路選択肢登場したことは、一度もないのです。 これが、どう発展していくと「東大受験失敗して浪人した」 ということになるのか。 一方で妹は、地元国立大に一か月通っただけで不登校になり、 家庭内暴力を繰り返してワタクシのところに送り込まれ、 その半年後にはワタクシの前夫と駆け落ち失踪したわけですが。。 母の記憶の中では 「1年通ったけれど、教授の異常性格と合わずに退学した」 になっています。 いえいえ! 退学届を出したのが1年後というだけの話で、 それ以外は全部間違い。 この例で見えてくるように、ワタクシに関する記憶は 常にマイナス補正。 妹にはプラス補正が入ります。 もっともんのすごくディープな話もありますが、 それは控えておきますわね。 あくまで、どんな位置づけにワタクシたち姉妹があるかを 察して頂ければ良いことなので。 何にしても、相手が非常に自然にこの補正展開をされるのは そのまま愛情の差をつきつけられるようなものです。 子どもの頃だったら、 「いらない娘なんですのね」 と考えたことでしょう。 事実、小学生の頃、ディープ体験のさなかに ワタクシは 「本当にワタクシはあなたの子ですか?」 と聞いたことがあります。 へその緒を見せられました。 逆に逃げ場が無くなりました。(笑) 何せ昔のワタクシは、相当に追い詰められた状態で、 真の精神的危機にあったことも数知れません。 さて、ここまでがワタクシが抱えていたもののサワリです。 そんなワタクシがなぜ、ほぼ克服できたのか。 (この「ほぼ」が大事ですが。。) いくつか理由があります。 ひとつは、ワタクシは母の態度に「なぜ?!」という疑問を いつも抱えていたことにあります。 なぜ?と思うからには、原因不明正体不明事項を 抱えていたということ。 人は、正体不明のものに対しては、警戒心も攻撃性も高まります。 母に対する感情の攻撃性が、自分を同時に斬り付けていたわけです。 そこに氣がついたこと。 毎月、生活費の一部にとお金を渡していることも 理由のひとつでしょう。 「物言わぬは腹ふくるる思い」 を体当たり表現しているとしか考えられない人と言いますか、 それ以上のものがありますが、お金を渡されると 一般的な感覚では攻撃性は鈍るものですから。 また、10年ぶりくらいに顔を合わせたワタクシが、 想像していたより大きいらしい(と考えているフシがあります) と見えていることも、理由のひとつでしょう。 ワタクシへの理不尽は、後日ずっと子どもたちが 反芻するかのように思い出しては非常に腹を立てるので、 ワタクシが腹を立てる機会が極端に減らされたというのも、 これもまた理由のひとつでしょう。 自分が攻撃されるより、大事に思っている相手への攻撃は 腹が立つもの。 それは大人の感性でもあるわけで、 母の理不尽が「-100」のダメージと仮定しても。。 -100+子どもたちの成長確認としての彼らの怒りを見る経験 +大事に思っているという愛情表現 となり、収支がプラスになってしまいますから。 更に、四柱推命で誕生日を見た時に、 「こういう考え方、こういう姿勢、こういう方向で 生きていくタイプ」 と知ってしまったことも理由のひとつでしょう。 こんなところでしょうか。 ワタクシは、かつては暗い部屋の真ん中で どこからやって来るかわからない攻撃に身構えていた ようなものです。 けれど、ほとんどの分析が完了して、 どの方向から飛んでくるかがほぼわかっている相手からの攻撃は ダメージも小さいのです。 仮にダメージを受けても、子どもたちが補ってあまりあるものを くれます。 母がもはや覚えてもいないだろう 「生まなきゃ良かった」 という言葉は、皆さまからお誕生日にいただく 「生まれてきてくれてありがとう」 のメッセージでプラス化されました。 母が評価の言葉をくれなかった分は、 皆さまからたくさん頂きました。 つまり。。です。 母の中で妹への愛情比重が高くても、 もしかしてワタクシの存在など不要だったとしても。 逆に言うなら、ワタクシを「どうでも良い」と考えているのは 母くらいなものなのですから、何ということはない。 そう考えたら非常に楽になりまして。 社会で大事にして頂けているワタクシは、 親というだけでずっと愛していけるという心境になったのですわ。 家庭は社会の縮図と言います。 ここできちんと出来ないことは、社会でもきちんと出来ない。 そうも言われます。 でもね。 親御さんがあまりな態度を取る時。 愛情が無いとしか思えない時。 それを社会の声と考えるのは単なるすり替え。 仮に親御さんがあなたをいらないと思ったとしても、 そう考えたのも口にしたのも親御さんであって 社会じゃありません。 「親がいらないと言うなら、必要と言う人を別に探す」 で良いのではないかしら? そうして、別の人たちに大事にされているわが子を見た時に、 改めて認識が変わることもあるくらいに、 愛情というのは案外ふわふわしたものです。 仮に両親が「不要」と言っても、 それは世界でたった2人に過ぎません。 じゃぁ、世界で3名に「あなたがいてくれて良かった♪」 と言われたら、両親の「不要」判断は間違いだと 胸を張れるのです。 もう簡単! 「あなたがいてくれて良かった♪」 と言ってもらえる人間を目指せば良いだけのことですからね☆ そうして自分の存在をきちんと確立させてしまうと、 両親が自分に対して何を言ってきても揺れません。 大事な存在への攻撃が関わると揺れますが(これは仕方ない) でも、自分をどんなに否定されようとも 「わかってくれる人がいるのですから大丈夫。 あなたたちにわからないだけ♪」 と受け流せると思いますわ。 たぬBさん。大丈夫。 あなたはこんなにも、自分を客観的にご覧になっていて、 欠点は欠点として認めておられるではないですか。 その強さは魅力です。 強い人は美しいのです。 美しい人は愛されます。 ご両親が、兄と弟にそれぞれ関心を向けてしまって 余裕が無くなっているのなら。。 それは、一番手のかからないたぬBさんへの ご両親の甘えではありますが、 現状でご両親からの愛情表現を期待するのは 止めてしまいましょう。 また、これはご両親との関係に悩まれる 全ての方に言いたいのですが。。 どうにも愛せない相手を無理に愛する必要も無いと思いましてよ! それが親であってもです。 愛すべき立場だけれど愛せない相手は「保留」。 相手からの愛情に執着せず振り回されず、 自分が与えられなかった愛は他から与えられると知りましょう☆ 「親にも愛されなかった人が、 どうして他の人に受け入れられるか」 なんて言う人もいますが、それならワタクシは問いたい。 子を虐待する親がいたら、 その子は世界中の他人からも同様に虐待を受けていますか?と。 母性本能だの、親の無償の愛だの、絶対愛だのの信仰は捨てて、 恩義ある相手(無い親も世の中いはいますが)との 人間関係と考えましょう。 いろんなことが片付いて、愛せるようになったら自分が楽です。 愛せないと感じる時に愛さないのも、自分が楽です。 何せ愛に関して「ハタを楽に」の働く精神は不要でしょう。 「愛さなければっっ!!」 というプレッシャーから愛情が生まれることなんか ありませんからね。 また、「ハタを楽に」と考えた行動が多くなるほどに、 自分に向けられる愛情は自動的に増えていくものです。 人は幸せになるために生まれて来ました。 だから、幸せになるのは義務なのですが、 これはとっても簡単なことです。 狭い世界で判断することなく、大きな世界に意識を向けましょう。 世界でたった二人、自分を認めない人間がいるから 何だって言うんです? そう考えて、大きく大きくなっていきましょう☆ 水の氣アイテム 木の氣アイテム 住居用アイテム
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