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やっつけ人生にしない方法
開運の極意!裏話

やっつけ人生にしない方法

差別と区別が同じもの扱いされるようになったのって いつ頃からなのかしらね。 第二次世界大戦後は、日本は見えない戦争を ずっと仕掛けられていると言われています。 洗脳レベルの思考誘導、計算された報道、 恣意的価値観の確立などなど。 いわれなき差別は当然NG。。 でも無策の区別拒否もNGでしてよ☆
前回の裏話でお話ししました。

日本人は、ざっくりと分類された善悪判断を
盲信させられているのではないのかと。

マイナス情報は全て「中傷!いけないこと!」とナーバス。 そして差別も区別も一緒くたに 「ダメダメダメダメ!」と考える。

日本ほど、海外にとって都合の良い国は無いでしょうね。 そんなお話。
物を考えないというのは楽です。

誰かが出した答えに従っていれば
すべて間違いない、、とすれば。。

試験会場で、ひとり非常に優秀な人間がいたとして。

その答案を丸写しして提出して良いというルールがあった時に、
一体どのくらいの人間が自力で勉強して試験に臨むかしらね。
考えるというのは重労働。

それは糖分摂取でエネルギーを
補わなければいけないくらいに。


だから、「考えなくて良い。答えは与えられる。」
と言われれば、なんて親切な申し出とばかり
飛びつきたくなってしまうもの。
けれど、誰がわざわざ人の重労働を引き受けて
答えを出す役をやるかしら。


先の例えで言うなら、試験会場にいる
そのたった一人の優秀な人間は

なぜ自分だけが背負わなければいけないのか。
自分の努力の成果を放出させられるのか。

疑問と同時に激しいストレスを感じるでしょうね。
その理屈ですと、頭が良い人間は損ということに
なってしまいます。

実際はそんなわけないのですけれどね。

けれど度々こんなフレーズを耳にしませんか?

「頭が良い人間がやったら良い。」 「得意な人に任せるのが一番良い。」 「君は出来るんだから、  やってあげたらいいじゃないか。」

こんな身勝手な言葉に、
理があると考えられてしまう場合があるその状況や環境自体に
戦後の仕組まれた罠を感じてしまいます。


だって、何とも共産の悪い面が噴出した言い分。

個々の能力ある人の努力モチベーションが
削がれる内容ではないですか?
難しいことは考えなくて良い。

→ だってそういうことは誰かがきっと考える。 → 一人で何かやっても、何も変わらない。

この無氣力さに覚えが無いですか?
自動車学校では

「相手が●●してくれるだろうという  『だろう運転』は事故のもと」

と教わったりします。 それなら「だろう日常」も事故のもと。 自分の環境という小さな範囲はもちろん、 日本自体が事故を起こす運転をしてしまうことに なりかねませんでしょ。 それは、海外の国々から見たら危なっかしくて、 付け入りやすい隙だらけの国ということ。 都合の良い国完成☆
自分の環境は自分で守る責任がありますわね。

その第一歩は「考えることを放棄しない」ということ。

そのためには、
まず「ざっくりした善悪判断に疑問を持つ」
ということではないかと思いますのよ☆


そこできっちり分けたい「差別」と「区別」の意味。

これが混同されているのは日本くらいなものだと
海外の方々はおっしゃいますわ。
自分と他人は別の存在と考えるのは区別であって
差別じゃありません。


自分の給料を生活費として使ってよいのは
扶養家族だからであって、
ご近所の人や家族の友人とかが使っては困るというのは
区別であって差別じゃないのですわ。
差別というのは、その区別感覚の向こうに
虐待が存在するもののこと。


自分の他人の境界線を曖昧にさせられた上に、
自分が一方的に他人の責任まで背負わなかったからと言って
差別になるわけもありません。(笑)


そういうことをきちんと考えるようにしないと、
他人の借金を背負うなんて事態も平氣で起きます。

かつてのワタクシのように。。( ̄▽ ̄;)
ワタクシの場合は、金融業界の「保証人」
というシステムにやられたのです。


それも、

クレジットカードの家族カードは 実は自動的に連帯保証人セットされる

ことを知らなかったことによる経験。
けれど、自分で本人カードを持つのではなく
家族カードを作った時のこと。


家庭内がずっと平和であるという希望的な考えのもと、
そして家庭の大黒柱になりたがった前夫の期待のもと、

熟考放棄

で家族カードを作ったのはワタクシなのです。
誰かが

考える

のではなく、 自分がきちんと答えを出すのが、人生への責任。 東洋哲学では、責任放棄者に真の運は訪れないと考えます。 自分の判断基準、自分の考えをしっかり持ちましょう。 考えは、ややこしいことや細かいことに及ぶことで 精度が上がります。
ざっくりした、「どんぶり勘定」ならぬ「どんぶり思考」は
いわゆる「やっつけ仕事」です。


人生をやっつけ人生にしないために。

訪れる運氣をやっつけ運氣にしないために。

その開運の鍵は、面倒なことほど
きちんと切り込んで考える姿勢だと思いましてよ☆
昔の僕は、周囲からは雑学が多いとか
読書家とか比較的高評価だったのですが、
フェムトさんとの出会いは一種の革命でした。


自分で考えたと信じていたことが単なる受け売りだった上に、
いろいろ論理の穴があることをがっつり指摘されたからです。


けれど、その革命以降の僕の開運に関しては
皆さまもご存じのとおり!

すべては繋がっていて、 偶然はないのです!

くさんの人が言っているからといって それが真実とは限りません。 いつの間にか当たり前に言われていることだって 正解とは限りません。

用表現になっているものでも、 とんでもないものが存在することは この裏話コーナーでもお話ししてきました。 慣用句にしても、よく考えてそれが正しいかどうかを 見極める必要があるのですわ。 そうでなければ、嘘の蔓延に手を貸すことになりかねません。 無意味に人を傷つけることにもなりかねません。 それは悪徳になってしまうことでもあるのです。

か失敗した時に 「何も考えていないから」 と言う人がいますけれど、 「何も考えていないことこそが罪」 ということも考える段階のようにも思いますわ。

011年の後半から、こんな風な 姿勢からの開運についてお話ししています。 日本のグレードアップの年に差し掛かるから そういう段階に来ているから。 というのもあるのですが。。

際、日本は大きくグレードアップチャンスを迎えています。 けれども、過去から仕掛けられている50年戦争の罠に がっつりはまったまま、 「第二次世界大戦は過去のこと」 と、終わったこと認識している人に蒔かれた、 おかしな姿勢の種が発芽して、 このチャンスを台無しにしているのが何とも残念。

から抜け出しましょう。 それが出来るのは、個々の意識と姿勢でしてよ。 その向こうには、大きな開運があるんですからね☆


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