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孤高と協調性

2019.1.3

「みんな仲良く」の徹底指導って、いつから始まったのかしらね。 「みんな仲良く」を最優先事項にすると、 これが壊れた時の対処は恐ろしく難しいものになるのですけれど。
日本は和を尊ぶ国と言われています。


その延長で確立したのかもしれませんわね。
「みんな仲良く」至上思想。
自我を消し、長いものに巻かれ、付和雷同し、
朱に交わって赤くなり、
郷に入っては郷に徹底的に従い過ぎる。


それもひとつの処世訓だとは思いますが、
最優先事項にしてしまうと歪も出ます。
大半の人が悪徳行為に流れていたらどうしますか。

この条件下で悪徳に流れないのは
「みんな仲良く」に反します。

「みんな仲良く」を選べば
悪徳に流れることになりますわね。
わざわざ敵対することもないから、
「みんな仲良く」を徹底否定はしません。

けれど最優先事項ではないと考えるだけで
世の中の人間関係問題はかなり減るのでは
とワタクシは思うんですのよ。
いざという時には「孤高」を選ぶ。

その孤高の中に心地よさも感じられたら、
意に染まない行動を選んでストレスを抱えることも
なくなります。
こんな時、思い出すのはいつも中学時代のこと。

近所の同級生の男の子は、とても個性的なところがあって
何となく暗黙のルールのようなものがあっても
悪いことじゃないなら破るような行動を取る子でした。

例えば、生徒会の会長に立候補するのは3年生という
暗黙のルールを破って1年生で立候補したり。
自分大好きで自己評価が高いところが鼻につくと
誰かが言い出してからはあっという間。

学年中で彼を仲間外れにするムードが完成しましたのよ。

廊下ですれ違う時は、女子は壁際に張り付いて
「うわ!きたな~い!」
と言わなければいけなかったようですわ。(笑)
ワタクシも、その子の自己評価の高さは
「しょうがないですわねぇ。」
と思って見ていましたけれどね。

でも口だけではなく努力もする子でしたから
みんなはともかく、少なくとも
ワタクシの癇に障ることは無かったのです。
結果、学年でたった一人だけ
彼と口をきき普通にすれ違う人間になりました。

当然予測出来ることですが、ワタクシも散々に陰口を叩かれ
いろんな中傷も流されましたが、どうでもよくて。
これがもし、口ばっかりの大ボラ吹きでしたら
ワタクシの態度も変わっていたかもしれません。


ワタクシの尺度はワタクシの癇に障るかどうか。
口ばかりの大ボラ吹きは、
ワタクシの癇のど真ん中ストライクですから、
これをやる子だったら相手にしなかったでしょうね。

軽蔑しきった目で見たか、存在の無いものとして扱ったか。

どちらにせよ、皆と同じリアクションは
しなかったと思いますが。
あの時、皆に聞きたかったですわ。
そんな態度を取らなきゃいけないくらいに
あなた自身が彼のことを嫌いなのか?と。

実際に聞いた人も少なからずいました。
嫌いだったら、そのリアクションでもなんでも
悪徳かどうかは別にして好きにすれば良いと思いますわ。

けれど、自分の感情の確認もしないで
場の空氣に染まっているのであれば、
何のために脳みそを持っているのかと。
1年生の時に始まった、このバカバカしい流れは
3年で卒業するまで何となく続きましたが、
年々周囲のあたりも和らいでいっていたようでした。


最後まで大騒ぎして彼をウイルス扱いしていたのは
2~3人の女子。
最初から最後まで彼に普通に接したワタクシは、

「あいつのことが好きなんだろう」
「偽善者」
「そこまでして良い子でいたいか」
「もともと変わり者」
「あいつも同類」

と、いろんなレッテルを貼られたようですが、
癪に障らない相手は癪に障らない相手として対応するだけ。

結果、ワタクシのことをどう評価しようとその人の自由ですからね。
最初のうち、彼を避けてワタクシを遠巻きに見ていた子たちが
改めて「そんなに彼が嫌い?ストライクな嫌悪要素がある?」
と聞かれることで、次第に落ち着いていった感がありました。

彼女たちの答は、
「そこまで嫌いじゃないかもしれない。
 けれど特に仲良くしたいとも思わない。」
でしたが、そのレベルなら彼をウィルス扱いするのはおかしいと
氣づいてくれたようです。

最小限のコミュニティを取るくらいならOKになっていきました。
中学の卒業時に、その男の子からはとても感謝されたのですが、
考え無しに悪徳に染まるのがイヤだったのと、
彼がワタクシの価値観の中で特にNGじゃなかった
その結果の行動選択です。

3年の間には、義憤に燃えたこともありましたが、
ワタクシの当時の思考の本質はこれだったと
今でも思いますわ。
協調性は大事です。
けれど、何事もバランス。


付き合えるところ合わせられるところと
そうじゃないところは分けましょう。
保身のために流されていないか。

協調性を優先するためだけに
誰かを苦しめる選択をしていないか。

嫌いじゃない人にひどい態度を取っていないか。
仲間と一緒に過ごす楽しさも
孤高の居心地よさも、
どちらも選べるという精神状態は、
人間関係のかなりの部分をクリアすると思いますわよ。
平和のためには戦いも辞さないという
そんな思考にならないようにしたいものです。


すべては繋がっていて、
偶然はないのです!
んな仲良くを絶対価値みたいにした結果、
友人がいないとか少ないとかが、
その人の値打ちを落とす絶対基準になっているように思います。


心を許せる人とたくさん出会えたかそうじゃないかは、
特に問題ではないでしょう。


見知りなんて、理由にならないものを盾にして
周囲に氣を遣わせて当たり前という姿勢は絶対NGですが、
その場を不快にさせない氣遣いは出来て、
けれど真に友人と言える人はそんなにいないというのは
ごく自然なことではないのかしらね。


けれど、「みんな仲良く」絶対主義は、友人は多ければ多いほど良く、
自分の披露宴に友人が少ないのは恥ずかしい事で、
学校なんかで友人が少ないのは人として問題がある事で

という価値観に縛られて、萎縮したりいじめが発生したり。

それを避けるために、本意ではないことや悪徳に加担して、
こうしておけば身の安全も図れるとビクビクして生きて
何のための人生かと思うわけです。


生のパートナーがたくさんいたら責められるのに、
心を許す人はたくさんいなけりゃおかしいのか。

その基準は、絶対化すると変なことになります。


とは言え、問題行動を起こしがちな人に友人がいないという
そういう判断基準は決して間違ってはいませんしね。

ここでもバランス。
極端に判断基準のひとつに縛られて絶対回答を出さず、
柔軟さを失わないようにしたいものです。

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